24時間の知的生活術

 「24時間の知的生活術」は、現代情報工学研究会書き下ろしの本である。
 講談社プラスα文庫から1997年11月に刊行されたもので、今はユーズドしかない。
 3日の日に、中古本屋で他の2冊と一緒に購入した。
 どうして購入したかというと、この本のまえがきに書いてあることが、今の自分の考えているところとぴったり一致したからである。
 そのまえがきには、次のように書いてある。

 単なる仕事人間やモーレツ人間ではない。いずれも多忙でありながら、仕事に私生活に、思うところを存分に実践している人ばかりだ。
 しかも、忙しいことを苦に思わないどころか、楽しんでいるふうにも見える。
 時間を大事にして勤勉に生きる人々は、仕事だけでなく私生活も大切にしている。
 あくまで主体的かつ能動的であり、会社人間、滅私奉公などという言葉で表現されるような受動的な生き方とは、はっきりと一線を画している。
 24時間は1日のすべてであり、その積み重ねが人生である。24時間の使い方とは、生き方にほかならない。

 以前は、時間なんて湯水のごとくあるような気がしていた。
 そんなふうだったから、「そんなに慌てなくても・・・」とか、「いつかやるときがくるだろうから、できるだろうから・・・」と考えていた。
 でも実際は、きちんとやりたいことを選別してやり始めないと、きっといつになってもやり始めないということが今まで経験してきたことだった。
 だから、「時間がない」ということを理由にせずに、やりたいことをまず始めることが肝心なのだと思う。
 この本の中にはたくさんの時間管理術の達人が出てくるが、その中の一人に、最近手帳コーナーで著作を必ず見かける佐々木かをりさんがいる。

  • 「自分の人生をどう生きるか」という意識と意欲

 「忙しいだろう、大変だろうと言われるけれど、私の中にはけっこうゆとりがあるんですよ。たとえば、子供と一緒にいる時間。そこで発見することがたくさんあるから、子どもを育てていることが、私にゆとりをあたえてくれるんです」
 そうした「ゆとり」が大きいのだと思う。時間に追われて焦っている人には、いいものはつくれない。十分な余裕を持ち、自信を持って作り上げたものですら、合格点とはかぎらないのだ。本人が日々の生活に満足できず、不安や不満にさいなまれていながら、出てくる成果がすばらしいなどということはあり得ない。
 しかし「ゆとり」は、時間管理術を勉強したって身につくものではない。
 「結局、時間の問題じゃないと思うんです。これは人生観の問題」
 毎晩酔いつぶれて帰るのも、接待ゴルフで家族と接する時間がないのも、結局自分で選んでることではないか。朝早く起きて子どもを学校に送るのは大変そうだから、やりたくないだけではないか。
 タイムマネージメントの基本も、最終的には本人がやりたいか、やりたくないかの問題ではないだろうか。
 「私は全部やりたい。仕事もしたいし、キャスターもやりたいし、子どもも育てたい。プラス。心にもゆとりを持っていたい。もちろん健康でもいたい。
 だからタイムマネージメントがうまくなってきたんです。タイムマネージメントがうまかったから、全部できるようになったわけじゃない。時間管理のパッケージを手に入れたところで、これまでひとつのこともできなった人が、いきなり二つも三つもできるようになるわけではないですからね。」
 佐々木さんは、ここ十年ほど「ミッション」ということを深く考えるようになった。地球上に生きる人間は誰でも、自分なりのミッションをもっている。しかし本人がそれを自覚しているか、いないかによって、その人の生き方は大きく変わってくる。自覚してこそ、目標に向かって毎日を生き生きと無駄なく過ごすことができる。
(中略)
 1日をどれほど充実して過ごすか、人生をどれほど豊かなものとして生きられるかは、確かに時間管理のノウハウの問題でもなく、活動時間の長短でもなく、「自分の人生をどう生きるか」という意識と意欲の問題なのだろう。

 実は、unizouも「ミッション」という言葉まで思いつかなかったが、ここ何年かの間に何をやりたいのかが見えてきたような気がしていた。
 そのための診断士試験であり、英語の習得だったりするのだが、それ以外にもいろいろあって、時間が足りないような気になって焦っていたのだ。
 でも、結局、「自分の人生をどう生きるか」という意識と意欲があれば、解決する問題ということなのだ。