少子化の原因

 日曜日の日本テレビ13:30〜14:55「未来報道2006」で少子化問題を取り上げていた。
 ゲストの獨協大学教授の森永卓郎氏が、国民の所得が下がったことが原因であるようなことを話していた。
 2005年版の国民生活白書でも、出生率が低下している要因を分析し、結婚しても子供を多く持てない夫婦が増えたと指摘。背景にパートやアルバイトで生活する低所得の若年者の増加があり、雇用環境を是正し、子育てしやすい社会の実現が課題と言っている。
 しかし、実際、原因は所得の低さなのだろうか?
 国民生活白書には、「結婚のデメリットとして、自由が制限されることに加え、男性では家族扶養の責任が生まれること、女性では人間関係が煩わしくなることなどを挙げる人が多い。」とも書かれている。
 しかし、もっと突き詰めていくと、実際は、ただ単に「傷つきたくない人間が増えた。」と言えるのではないかと思う。
 恋愛でもそうだし、職場でも、学校でも、そして、家庭でも・・・である。
 人の感情に左右されて、泣き、笑い、腹を立て、悲しんだりすることが、耐えられなくなったという人が多くなったような気がする。
 自分のことであれば、できなければ諦めればいいし、やりたければ突き進めばいい。
 しかし、家族といえども“他人”が入るとそうは行かなくなる。そのストレスに耐えられなくなるのである。
 森永卓郎氏は「おたく」だそうであるが、「おたく」の道も、誰にも邪魔されず、自分の好きなようにできるという世界であり、体の良い逃げ場所である。そこには、自分と対象物しかないから、傷つくことはない。買いたくても買えないとか、手にしたいと思っていて実際に手に入らなかったとしても、その思いだけで彼らは十分である。
 どうしても、unizouはこの「傷つきたくない症候群」が人間をダメにし、今の社会のひずみの原因である?と言っても過言ではないと思っている。
 だから、unizouは、失恋大賛成である。人間が自分の思いだけで生きていけないことを知るのは、本当に大切である。そういった経験から人との調和を知ることができる。自分の生き方を知ることができる。
 なまじっか、判ったような顔をして、隣に座っていられるのは胡散臭い。
 言いたいことをいい、言われて傷つき、言ったことに自身が傷つきながら、人間の奥深さを知るのである。
 人間なんて厄介な代物である。分かったような顔して分かってなかったり、冷たいようで温かかったりする。
 そういう風に人と本気で対峙していると、人の優しさが見えてくる。
 きっと、子供を作るということは、夫婦が真剣に向きあって生きていく覚悟を決めたということのような気がする。覚悟を決めれば、所得が低いとか、あれが足りないとか、これが足りないとか、親がどうだとかいうことなんて、きっとどうでもいいことのようになるような気がする。
 所得がたくさんあるに越したことはないけれど、そんな風に生きられれば出生率は高くなると思うのだが・・・。
 それには、学生時代にたくさんの失恋を経験するのがいいかもしれない。