アスリート
スポーツ選手を見ていると、本当に頭が下がる思いがする。
テレビで見ている大会は、選手にとってはほんの一瞬で、それをはるかに超える膨大な時間が自分を鍛えるためのトレーニングに費やされている。
12/17(日)に開催された全日本実業団対抗女子駅伝に出場した資生堂の弘山晴美選手もunizouが尊敬するアスリートの一人(http://www.shiseido.co.jp/run/member/html/ath_w002.htm)。
38歳となって迎えたこの大会、弘山選手は資生堂の6区アンカーを務めた。
5区から6区への中継所での弘山選手はトップに10秒差の二位でたすきを受けとった。首位を行く三井住友海上火災保険の アンカーは新人の大崎千聖選手、19歳。
弘山選手は、前を行く大崎選手の背中を見て「体の軸は私のほうがしっかりしている。」と直感し、1.8キロ付近で追いついた。それからしばらく両者の併走が続き、勝負は終盤へともつれこんだ。
経験の違いか、試合巧者だったのはやはり弘山選手、競技場のトラックでそれまで必死に食らい着いてきた大崎選手(彼女も新人とは思えぬ見事な走りと度胸だった。)を引き離して逆転し、ついに資生堂を初優勝へ導いた。
すでに走り終えてゴールで待ち受けていた部員は、「晴美さんにゴールテープを切ってほしい。」という願いが叶った瞬間、いやその前からもう号泣していた。
弘山選手の今年の活躍は、この日ばかりではない。
2006年3月の名古屋国際女子マラソンでは、41キロ地点までトップを走っていた渋井陽子選手を、一時は最大58秒もあった差を驚異的な粘りでかわして大逆転、悲願のマラソン初優勝を果たしているのだ。
この日もunizouはテレビ観戦し、弘山選手を応援していた。ゴール後、コーチであり、夫でもある勉さんと抱き合って号泣する姿に胸を熱くした人は多かったと思う。
彼女は、これまで、シドニー五輪、アテネ五輪ともに惜しくもマラソンでの出場機会を逃している。しかし、あまり多くを語らず、でも別の陸上競技種目で五輪出場を果たし、アトランタ、シドニー、アテネと長距離トラック代表選手として、3回連続出場という快挙を成し遂げている。
もちろん、日本女子陸上界で五輪3回連続出場は彼女だけである。
実は、unizou、マラソン初優勝に、実業団駅伝初優勝と、弘山選手が今季限りで引退してしまうのではないかとかなり心配している。