背負っているもの

 診断士試験を受検する環境は、受験生一人ひとりが違う。
-大学生のうちから、診断士を目指す人
 ・・・きっと、よそ見をせずに集中すれば、たっぷり時間がとれる。でも、時間があり余っている分、時間を無駄にしがちなになる・・・?
-就職をして数年から10年位までの独身の人
 ・・・その気になれば、時間は作れるかもしれないが、誘惑も仕事上の雑用も多いので、会社関係の付き合いをしっかり断れば時間は作れるかな・・・?
-就職して10年以上で安定してきているが、子供が小さくて、子育てもしなきゃいけない人 
 ・・・会社もそれ相当な役割がありかなり忙しいし、うちでも子育てにてんやわんやの状態なので、時間を作るのは相当の覚悟が必要・・・?睡眠時間を削ったり、移動時間を使ったり、あるいは、早めの出勤と偽って、喫茶店で勉強?というように、相当苦労して、勉強時間をやりくり?しなきゃならない
-あと退職まで10年ちょっとの人
 ・・・子供は大きくなり、時間も比較的自由に使えるようになるが、記憶力がちょっとと学習効率が低下・・・?という感じ
 きっと、大雑把に分ければこんな程度かもしれないが、微に入り細に入り観察すれば、相当千差万別な実態だろう。
 でも、これは診断士になろうという人が千差万別なのではなくて、人間が千差万別なのである。
 これが不思議なことなのだが、だからと言って、背負っているものが重い、あるいは大きいということで、受からないとは限らないのだ。
 背負っているものが重い、あるいは大きいという逆境をばねにして、思いを遂げる人も大勢いる。
 そういったところが、人間の不思議なところだと思う。
 だから、簡単に弱音を吐いてはいけない。自分の弱みを理由にして逃げることはいけない。
 それぞれの環境を受け入れ、工夫をし、何年かかろうがやり遂げようと諦めずにいれば、おのずと道(どれほどのときがかかるか分からないが・・・)は、開けてくるような気がしている。
 以前、栃木県栃木市を仕事の関係で訪ねたとき、栃木駅の構内にある山本有三の文学碑を書き留めたことを思い出した。
 それは、山本有三の「路傍の石」の文章・・・
「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら 人間生まれてきたかいが ないじゃないか」 
 どんな風に生きても、自分の、そして、たった一度しかない人生なのだから・・・。悔いのないようにやり続けようと思う。