診断士になりたい理由・・・自分の人生、そして幸せとは

 最近、なぜか「2」に縁がある。
 ブログネタになるようなことを、同時に「2」つ見つけることだ。
 日曜日に久しぶりに、最寄りの資格の学校T○Cに行って、「T○CNEWS1月号」と「PASS T○○L Vol1」をいただいてきた。
 そしたら、なんと「T○CNEWS1月号」の特集に、先日ブログで取り上げた奄美大島公認会計士で「南の島のたった一人の会計士」の著者屋宮久光氏のインタビュー記事が出ているではないか・・・。
 「資格の学校T○Cも、やるな」と思いながら、一読。

具体的に島に帰ろうと決めたとき・・・。
 私は人間の幸せについて深く考えました。その結果選んだのが、郷里に帰って母と一緒に暮らす生き方でした。
奄美大島での会計士として・・・
 顧問先に対する愛情と奄美のためになるという信念があれば、必ず思いが通じると思ったのです。
地方にいることのアドバンテージ・・・
 いつでもどこでも本が手に入る時代になったのです。東京にいようが奄美にいようが、勉強するという状況に格差はなくなりました
 そうなれば、奄美のほうが勉強に適した環境ではないだろうか。電車に乗る時間もいらないし、職場までは歩いて15分、自転車では10分です。こうして、アドバンテージに光を当て、こちらから東京の会計人ビジネスパーソンに勝負を挑もうという気になったのです。
 例えば、この「南の島のたった一人の会計士」というネーミングもものすごいアドバンテージです。

 そして、もう一つ「PASS T○○L Vol1」の連載記事「コンサルティングの現場から」に出てくる中小企業診断士E先生の事例。

 診断を依頼された事例は、資金相談の事例。相談企業は港区で飲食店を経営するS社。S社は平成9年に法人設立後、なんと8期連続で営業赤字を計上し、創業以来一度も営業利益を計上していない。平成16年(第8期)決算で累積赤字は15百万円にまで達している。よく今まで資金繰りができたものだと感心する。そのからくりは簡単で、A社長が両親から借入をして何とか資金を繋いできたというわけだ。

 以前から、unizouがいう中小企業の典型。こういった会社は五万とある。
 診断士は、こういった会社から逃げられない。というより、こういった会社こそ、生き返させるためのノウハウを営業面も、財務面も提供しなければならないのである。
 そして、これこそが公認会計士や税理士との違いである。
 以前、職場を退職して税理士になった先輩に、「税理士も多くて顧問先を見つけるのが大変だから、見つけるなら誰も面倒を見ないような赤字企業はどうですか?」と話したら、「お金がもらえないかもしれないところは、ちょっとね・・・。」と言われたことがあった。
 きっと、全部の税理士がそうではないだろうが、おおむねそういうことなのではないだろうか。
 そして、E先生は最後にこう書いている。

 経営に限った話ではないが、失敗は勝ちある財産であり、成功のヒントであり、成長の機会となる。失敗経験を不運としか認識できないようなら結局同じ過ちを繰り返すことになるだろう。これは、自分の人生にも同じことが言える。コンサルタントとして仕事をしていく中で、多くの失敗(もしくは苦難)と思える経験をしてきたが、これらの経験こそ自分の成長に役立つ肥やしであり、それが大きければ大きいほど自分にとっては勝ちある機会であったことに気付かされる。これからも多くの困難に出会うだろう。多くの失敗を経験するだろう。だがそれら全てを価値ある機会と受け止めて成長していきたいと思う。そして自分を必要としてくれる顧客の役に立ちたい。今回の案件を振り返り改めて考えさせられた。

 2つの話を読んで、仕事とは、自分を成長させてくれる機会であり、どこでも、どんなことでも、その気さえあればその機会となることを教えられた。
 診断士になったら(成れたら?だな)、奄美大島公認会計士屋宮久光氏やこの診断事例のE先生のように、企業と関わっていけたらと思っている。
 最近、それこそが、自分の人生であり、幸せであると堅く思うようになってきている。