「モモ」と格差社会

 2006-02-19「モモ」、2006-03-17「「モモ」とIE(経営工学)」と、ドイツのミヒャエル・エンデという作家の「モモ」を題材にブログを書いた。
 今回、派遣社員やパートのことをブログで取り上げ、どうしても「モモ」のことを書いておきたくなった。
 「モモ」の中で描かれているのは、お金を得る代わりに失われていく豊かな時間のことである。
 今の現代社会で言うとしたら、こんな例えはどうだろう。
 生活のため、子供の教育のため、住まいのために仕事をしなければいけないと共働きしている夫婦。夫婦二人で働けば、確かにお金は入ってくる。でも、子供たちには、昼も夜もコンビニ弁当。中には朝さえもコンビニ弁当になってしまうケースだってある。
 仕事でいらいらすることもあるから、怒りっぽくなって、子供にも当たるし、夫(妻)に当たることもある。
 家庭の中は、嵐のような日が多い。働かないと、子供たちをいい学校にも行かせられないし、旅行に行く事だってできないと固く信じている。
 そして、新車で買った車も時間がなくて、洗車機で「ガー」と一洗いして出費。新築で買った家も、掃除をする時間さえないので、ダスキンのお掃除サービスで出費。
 時間を売ってお金を得て、挙句に時間がないのでお金で払ってという繰り返しということだろうか・・・。
 逆に、共働きをしていない夫婦。どちらが勤めていてもいいが、できれば、unizouは母親に家にいて欲しい。お金はないけど、時間はたっぷりあるので、手作りの朝、昼、夜。絵本を読んで聞かせる時間も、公園へ一緒に行く時間もたっぷりある。
 お金はないので、ディズニーランドも国内旅行も、もちろん海外旅行は夢の話だが、工夫次第でお金を払わずに愛情たっぷりの至福の時間を味わえる。
 どちらがいいということではないが、結局お金があっても時間がなく、時間があってもお金がないというのが本当のところで、その中で、それなりに至福のときを見つける以外にないのかもしれない。
 昔、ラジオ英会話?を担当していたマーシャ・クラカワーさんが、番組の中でこんなことを言っていたのを記憶している。

 「ニューヨーカーは、普段は貧しくてぼろぼろの服を着ていても、好きなミュージカルを見に行くときには、一張羅を着てめちゃめちゃめかし込んでいるんですよ。」

 その当時、その話を聞いて、なんて「かっこよくて、粋な生き方」と思ったものだった。
 格差社会もそんな気持で乗り越えて生きたいし、何より時間だけは、湯水のように豊かに持ち合わせている幸せがあるのは事実だろう。
 ただ、日本は住居費と教育費だけは、もっと安くなってもいいとは思うところではあるが・・・。