試験まで1週間を切るこんな時期なので、政治的な話題や、社会的な話題は差し控えようと思っていた。
 しかし、どうしても書かねばいけないような話題があったので、それを書こうと思う。
 それは、最近ニュースで頻繁に話題になっている子供のいじめによる自殺とJR福知山線脱線事故で同居をしていた芦原直樹さんを亡くし、15日に飛び降り自殺した荒川由起さんのことである。
 どちらも、その状況には同情せずにはいられないが、それをあえて、最終的に“死”を選んだことは許されないことだと言いたい。
 母は、大分高齢になるが、未だに死を恐れている。
 もう、いいことも悪いことも、人生の粋も辛いも味わってきていて、もう、これ以上死を恐れることなどないと思うのだが、それでも、生に執着している。
 そんな母親を、unizouは人間として当然と思っている。
 死は、人間として生を受けた以上、生が選択できないことと同じように選択できないことなのである。
 たとえ、どんな状況になっても、愛する人を喪失した悲しみに打ちひしがれても、生きなければいけないのである。
 それは、一人ひとりに生が与えられているからであって、それを全うすることが大切なことだと思うからである。
 だから、最初に自殺するに至った状況は同情すると言ったが、自殺したことに同情してはいけないというのがunizouの考えである。
 unizouは子供の頃、死について、死後の世界を含めてよく考えていたが、臆病なので自殺を考えたことはなかった。
 しかし、実際は、自ら命を絶つことほど傲慢で、自己中心的なことはないと思っている。
 自殺したこれらの人たちの周りには、家族の愛や友人の愛など周りの人の愛が必ずあって、彼らを灯していたはずである。
 失われたものや傷つけられたことのほうばかりに意識がいって、どうして、そのことに気がつかなかったのだろうか?いや、気がついていただろうが、そういう人たちがいることの幸せを噛みしめなかったのだろうか?
 人を取り巻く環境は、すべてが不幸でも、すべてが幸福でもないのが真実だと思う。
 些細なことにも一喜一憂して生きている、ピエロのような人生がまさしく人生そのものなのである。
 「そう言った人生を受け入れる考えが、自殺した人たちにあったなら、周りの人のささやかな思いも光明になっただろうに」と思わざるを得ない。
 決して、どんなことがあっても、どんな状況でも、自殺を選んではいけないのである。