unizouの事例1
「事例1の問題以上に、現実の世界は生々しい。」と、問題を解きながらいつも考えている。
さしあたって、unizouの事例1は、管理職の工夫、若手社員のコントロール、そして、中堅社員のモチベーションであり、次のような感じである。
- 管理職の工夫
unizouを含め管理職になった社員の工夫が足りなすぎる。中堅社員に毛が生えた程度のことしかしていない。
それに、社員に気を遣い過ぎて、社員がやるべき仕事まで、手を出しているところも見受けられる。参加させる工夫が必要なのに・・・。
先日も、管理職のK氏が、独断専行で業務の見直しを図り、社員のひんしゅくを買った。
- 若手社員のコントロール
若手社員の能力を最大限に活かしきれていないのが、問題。「お味噌」*1扱い。
尊敬できる上司に恵まれなければ、工夫の上司、モチベーションのない中堅社員を連鎖的に生んでいく結果になる。
この歯止めをかけるのが、これからとても大事なことと思っている。
- 中堅社員のモチベーション
これが、一番厄介な代物かもしれない。自分の仕事を終えるとさっさと引き上げてしまうという感じ。主な仕事が終われば、時間調整をしながら1日過ごしているといった感じである。これでは、若い社員が尊敬しまい。やる気をなくすのも無理もない。
組織は、必ずピラミッドになる。
「船頭多くして船(ふね)山に上る。」*2のことわざのとおり、頂点は一人なのであるが、その頂点だけが大事なのではない。それぞれの役割が大事なのである。
では、どうしたら、このことを理解してもらえるのだろうか・・・。
組織論でたくさんのやり方を習った。最近コーチングがもてはやされていて、そういった方法もあるかもしれない。
しかし、unizouには、どうしても、その人の人生観そのものに原因があるような気がしてならない。
「偉くなければ意味がないといった人生観」が、上に立つものにも、下で支えているものにもあるのではないだろうか。
人それぞれの人生観に踏み込むのは非常に危険なこととは思いながら、ついと手を突っ込んでしまう自分がいる。
昨年の9月2日のブログに、曽野綾子さんの「心に迫るパウロの言葉」【新潮文庫】の1章『民主主義の解説者』を紹介した。
【http://d.hatena.ne.jp/unizou1972/20050902】
「教える才能を頂いている人は、教理を教える。慰め、力づけることを得意とする人は、弱っている人を元気づけに行く。お金によって施しのできる人は充分にお金を出し、リーダとなる人は骨惜しみせずに尽くし、人を助けることのできる人は気持ちよく助けることなのである。
この時、教える人たちが知的だとか、施しのできる人が金持ちだから偉いとか、リーダーシップを持つ人が優秀なのだとかいうことは、人間の側の判断なのである。神はそれらの仕事のどれもが、同じように大切であることを知っておられた。だから、才能に違いのあることは、神が個人個人に贈った贈り物をされたということに過ぎず、それにおかしな優劣をつけたのは、その神の意図の分からない人間の判断だったのである。(中略)
つまり、神から見ると、すべての仕事は全く同じなのである。総理大臣の職務なら偉くて、地方の小さな町の公務員はそれに比べたら大したことはない、ということもない。肉体労働を一切しない管理職が上で、頭を使わない工場労働はそれより下級だということもない。本当のことしか言わない学者は偉くて、嘘を書くことを仕事とする小説書きはダメという判断もない。
「もし、あなたがたのうちに自分をこの世で知恵のある者と思う人がいるなら、本当に知恵のある者となるために、愚かな者となりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。」(一コリント3・18〜19)
こんな風に立派なことまで言わなくても、せめて、多様な価値観を受け入れる自己の価値観が確立していれば、その時、その役目を精いっぱい全うしてくれると思っているのだが・・・。