諸悪の根源 土地神話

 両親は、母の実家である山梨へ1か月に1度、1週間程度でかける。
 今週末も出かける予定であるが、この時期に行くと老齢の身にはきつい稲刈りが待っている。
 といって、自分の田んぼの稲刈りではない。
 両親は、父のサラリーマン生活で生計を立て、とうに退職して今では年金生活である。
 では、誰の田んぼの稲刈りをするかというと、叔母夫婦(母の妹夫婦)の田んぼの稲刈りをするのである。
 農家の長男である叔父は、清里に近い場所にドライブインを経営していて、叔母とunizouのいとこの長男夫婦の家族4人で切り盛りしている。
 しかし、農業だけは、叔父一人でやっていて、叔母もいとこも手伝うことがない。
 そこで、稲刈りは何もやることがない両親に回ってくる。もちろん、新米2俵分くらいの我が家では嬉しい現物支給がついてくるが・・・。
 また、母の長兄である実家の跡を継いだ叔父も、unizouのいとこである長男夫婦と一緒に住んでいるが、やはり、農業は自分ひとりでやっていて、稲刈りも一人で行う。
 以前はりんごやすいかも作っていたが、さすがに叔母を亡くしてからしばらく経ち、一人ではやり切れずにやめてしまった。
 今では田んぼで米とほんの少しの畑で野菜を作っている。
 後継者がいない農家のこんな話は、全国どこでも聞く話である。
 米の現物支給で浮かれている場合ではない。これで、農業が産業といえるのだろうか?
 農業を本気でやりたい人は、たくさんいると思う。
 しかし、こんな状況では、やりたい人に迷惑がかかる。もし、やれないなら、やりたい人に渡すか、原生林に返すべきなのだ。
 こういったことは、都会の商売でも同じことが言える。
 商店街の中にぽつんと、以前は何かの店をやっていただろうという構えの家がある。
 景気が悪くて、夜逃げした店もあるだろう。しかし、多くは、商店街の中にポツンポツンと空いた、後継者がいなくて、老父筆で住んでいるといった構えの家である。
 日本中が、合理的な土地の効用よりも、土地神話といえる土地に対する執着心から自分にとっては不要な土地にしがみついている。
 unizouには、日本の今起こっている社会問題や経済、財政問題といったすべての問題が、土地に対する日本人の執着心が諸悪の根源であるとずっと以前から思えて仕方がなかった。
 本当に今ある問題のすべてといっていい。社会回問題であれば、親子関係であり、夫婦関係であり、経済なら、仕事、景気からまちづくりなど何から何まで含めてすべてと考えていい。
 何をするにも、土地に対するコストがかかりすぎるのである。
 そして、unzizouは土地神話と聞くと思い出す作品がある。
 トルストイ民話集「イワンのバカ」【中村白葉訳:岩波文庫】の「人にはどれほどの土地がいるか」という作品である。
 日の出から日没まで歩いて囲った土地だけすべてもらえることになった農夫が、強欲のために歩き続けて、ゴールしたときに息絶えて死んでしまう。
 死んだ農夫に必要だったのは、頭から足まで入る墓穴だったという話。
 少子高齢化が進む日本。家も商店も、農地も所有者がいなくて、誰も手をつけない土地が増える。
 診断士にとっては、どの産業のコンサルティングをするにも、土地とのかかわりなくしてコンサルティングはできないと常々思っている。