二つの命・・・山口高専生殺人事件

 山口高専生殺人事件、容疑者の高専生の所在がわからずに10日以上過ぎていた。
 昨日の夜、家に帰ってテレビをつけ、実際、誰もが結果を予想していたと思うが、容疑者の自殺という残念な結末が報道されていた。
 事件当初から、マスコミも両親も、「亡くなった中谷さんのために一日も早く真実を語って欲しい」という報道をしていたが、unizouには、そんなことは彼には絶対にできるはずはないと思っていた。
 unizouの勝手な思い込みかもしれないが、なぜなら彼の思いは、「亡くなった高専生の中谷さんを自分だけのものにしたかった」という一方通行の純愛であり、中谷さんを殺害したときに、彼にとっての結末は「死」しかなかったと思うのである。
 もし、死を選ばなかったなら、彼の思いは純愛ではなくなって、彼の望むことではなくなってしまったと思うのである。
 世間は、何かの事件があるたびに、「どうして?」「なぜ?」「理由は?」と知りたがる。
 しかし、実際は、「理由」なぞを聞かれても、そういう結果になってしまっただろうということがある。
 真実は、彼の死そのもので十分説明できるのではないだろうか。
 unizouには、人を好きになるということが、実際は、その人の強い思い込みだと思えて仕方がない。
 世界の人口約65億のうち男女半分とすると、男でも女でも約30億人以上の相手がいる計算になる。もちろん、知り合う範囲や自分にあった適齢期の人口となると、もっと少なくなると思うが、それでも、相手を選ぶとしたら、星の数ほどのかなりの人数が対象となりうる。しかし、亡くなった容疑者のように、一人の女性のことしか考えられないということはありうるのだ。どうして、そう思うかというと、実は、unizouもそういう経験をしたことがあるのだ。
 以前にもブログに書いたが、ほんとに幼い頃の話。
 小学生の頃、世界の中心は自分だと思っていた。
 人の心も、当然自分に向いてくれると思っていた。
 理由などはなく、ただそう思っていた。
 好きな人も、自分が好きなら相手も好きなはずだと思っていたのである。
 しかし、実際は違っていた。
 中学校に入ると、生徒はいくつかの小学校から集まったマンモス校になり、一学年10クラス500人近い生徒がいた。郊外の生徒の少ない小学校から来たunizouにとって、生徒の多さに圧倒されたが、入学してまもなく、下校しようと下駄箱で靴を取っていたら、衝撃的に「こんな子が世の中にいるのか?」というくらい、綺麗で大人びていたたった一人の少女に心を奪われた。今まで会ったことのないタイプの子だった。
 それから、彼女のことしか考えられなくなった。
 「何とか名前を・・・」、「住んでいる場所を・・・」と思って、毎日過ごしていた。
 ところが意外なことに、同じクラスの中の良い友人の彼女だった。普通なら、それで終わることかもしれない。
 しかし、友達の彼女と知りながら、彼女の家の近くの神社の境内で告白をした。結果は、当然だが無残なものだった。 unizouにとっては、出会ったことも衝撃的なら、結末も衝撃的で、それからの中学校生活は、すべてがその傷を引きずったものだった。
 半年くらいは、雨の中をびしょ濡れで帰ったり、自分の手をコンクリートの壁で傷つけたりしながら帰ったこともあった。しかし、幸い自分が死ぬことも、相手を殺すようなこともしなかった。
 その経験で、「世の中は決して自分を中心に回っているのではない。」、「思い通りに行かないことが普通なのだ。」と思えるようになった。そして、人生も世界も、恋愛という感情だけで回っているわけでもないと思うようになった。
 unizouはそう思えるようになったが、幼い時分だけでなく、大人になってもそういう気持になれずに、「自分を中心に回っている。」とか「人間関係は恋愛という関係のみしかない。」という気持を持ち続けている人はいると思う。
 亡くなった容疑者も、きっとそうだったのだろうという気がする。
 だから、マスコミも両親も、「亡くなった中谷さんのために一日も早く真実を語って欲しい」と願っても、叶わないことだったと思う。
 なぜ、亡くなった容疑者がしたことを、unizouがしなかったか、その違いはわからない。
 もし、彼が中谷さんの思いを受け入れていたら、「人には人それぞれの思いがあると、思いを馳せられるようになり、優しく、そして強くなれたのだろうに・・・」と思っている。