ブログと診断士講座1周年記念

 昨年の8月20日に資格の学校に通い始めると同時にブログデビューし、いつの間にか1年が過ぎていた。
 この1年、ブログには中小企業診断士の講座で習ったことに関係する話題を結構書いた。
 どの科目も、自分の身の回りにあることが多く、普段から関心を持っていれば診断士の学習の理解も深まることになると思いながら取り上げた。
 特に企業経営理論の組織論は、職場での人間模様を考えさせられる内容だったので、取り上げやすかったし、組織としてのあるべき姿を考えるのに参考になった。
 それ以外にも、経済に関するニュースなど、診断士講座で習っていることが話題になるケースが多かった。一次試験でも、時事問題に近いようなものがあったので、日ごろから新聞の経済面をよく読んで、ブログの話題に取り上げたりすると、机に向かっていなくても学習していることになっていたと思う。
 診断士に関する話題以外にも、政治や外交、社会的な時事ニュースも取り上げた。
 この1年の検索語をはてなカウンターで見てみると、“藤田憲一”がトップだった。そのほかにも、“藤田”や“憲一”でのアクセスも多かった。
 診断士関連の検索語をまとめれば結構なアクセス数になるだろうが、それでも検索語(単語)として、 “藤田憲一”に関心が高かったのは、“藤田憲一”氏の生き様に、世間の人が自分の“生”と“死”の意味を問うているということかもしれない。
 unizouの周りでも、30歳から40歳にかけてなくなる人が、ここ数年多かった。
 先日も、40歳になって管理職になったばかりの人が、奥さんと幼子2人を残して急になくなった。そういうこと目にしたり耳にしたりすると、誰も“生”を保証してくれているわけではないと、いつも思う。
 藤田氏のように、余命を宣告されていて死と向き合っている人もいれば、余命も知らず急に死と向き合ってしまった人もいる。
 こんなことを言うのは不謹慎かもしれないが、どちらが幸せなことなのだろう?と考えてしまう。
 unizouは、いつも、「余命を宣告される。」、「宣告されない。」に関わらず、心の奥底に“死”がいつ訪れてもおかしくないという思いを持ちながら生活している。
 だからといって、今日を最後という気持で何かをしたりしているわけではない。自分が望んでいることで中途半端な結果になったとしても、それはそれで、あるがまま受け入れようという気持でいるだけのこと。自分が望もうが望むまいが(望むことはないか?)、そういう結果もありうるということを考えているということである。
 昨年の2月にライフプランのコンダクター研修に出かけ、その中で、講義は支離滅裂だったが、たった一つだけいいこと(言葉)を教えてくれた講師がいた。その言葉は、次のようなものだった。
 見つめよう!今の私。見つけよう!もう一人の私。
 診断士の資格を取ろうと資格の学校に通い始めたのも、動機になるような経験も確かにあったが、実際には、自分探しの旅だったと思う。ブログを始めたのも同様。
 死を迎えるその日までの一生、自分が何者で、自分に何を求められていて、自分が応えられるものが何かを真剣に問いながら毎日生きていたいと思う。
 昨日も、資格の学校に通い、直前事例演習の3,4を受けた。
 今週1週間の睡眠不足のせいか、眠くて、眠くて仕方がなかった。この1年間、そんな日も多かったが、今日まで皆勤賞で受講している。
 普段は、思ったように勉強できない日も多かったが、休まず講座に通ったのは、自分なりに良くやったと思っている。
 ブログと診断士講座1周年、どちらも、unizouにとって意味のある確かなことだと思っている。