望んでやること、望んでないのにやらなければいけないこと・・・

 一昨日は、資格の学校で朝から夕方まで、昨日は自宅で学習した。
 資格の学校も、診断士の受験日だけが近いわけではないようで、診断士以外の受講生がたくさん集まってきている。
 一日ずっと、受験勉強をしていると、さすがに頭がおかしくなりそうだ。
 少し変になった頭のせいで、勉強への集中力が欠け、周りの人が気になってしまう時間が時たま巡ってくる。気にしなくてもいいのに、気付かれないように周りの人を見ては、「一体この人の人生は今後どう展開していくのだろう?」とか、「なぜ、こんなに苦しい思いをして(unizouもそうなのだが)、受験しようと思ったのだろうか?」などと想像している。
 そして、「でも、この人たちは自分から望んで試験を受けようと思っているのだから、今後の人生がどうなろうと、さして不幸な思いはしないだろう。」と、自分勝手に結論付けて、また、試験勉強に戻っている。
 しかし、unizouには、自分が望んだわけではないのに、わざわざ大変なように仕組んでいるのではないかと疑ってしまうようなことが世の中にはあって、その犠牲になっている人たちが、結構、それを楽しんでいるというまでは言わないが、当然のようにやっているのが不思議でならないと思うことがある。
 例えば、中央官庁の役人には、国会待機というのがあるそうである。
 「国会の質疑の際に、国会で各大臣の読み上げている閣僚答弁を作るために、質問をする議員から質問内容を聞き取るまで待機。そして、審議中もどんな質問がわからないので、また待機。」ということらしい。
 大体、政治家がやるべきことを、嬉々としてやっているとしたら、どうかしていると思うのだが・・・。確かに、以前はそういうことを平気でできることで出世の道を進んだ人もいるのだろう。
 ところが、「霞ヶ関からエース官僚が逃げはじめた」というブログによると、今では「霞が関で仕事をしていて、空しいと思うことは何か?」と現職官僚に質問したところ、複数返ってきた回答が「国会対応」であったという。unizouにしてみれば、「やっとまともな人たちが、多くなった」というところだろうか。http://www.matsui21.com/media/0105koron.htm
 大体政治家は、企業経営理論で習った組織論の中の人的資源管理でいうところの「企画業務型裁量労働制*1」の最たるもので、時間を気にしないで好きなだけやってもらえればいいし、大体勤務時間もへったくれもないはずだ。
 一方官僚は、勤務時間が決まっている労働者なのだ。当然、大臣は、コスト管理が必要なはずである。
 こういった国会待機などという馬鹿なことは、大臣を始め政治家の体たらくがもたらしたともいえるのだが、官僚の側でも情報公開を請求されたから情報提供を行うなどということやめて、行政の意思決定に関わる部分はいつでも見られるようにするのがいいような気がしてならない。
 そうなれば、当然、質問に対する回答も大臣みずから作れるようになるだろうし、そもそも、質問自体がなくなってしまうのに?と思うのだが・・・。
 世の中には、まだまだ、「どうしてこんなに遠回りに・・・」と思うことが多い。
 これだけ事件がひっきりなしに起こっている世の中で、検察、警察、マルサなどで働いている人たちが、十分に人間らしい生活を送っているのか、それを良しと思っているのか興味を持ってみていきたいと思っている。

*1:本社や事業本部等、企業の中枢部門で、企画、調査、立案、分析の業務を、自らの裁量で遂行する労働者を対象とし、その事業場において設置された労使委員会で決議を行い、その決議を労働基準監督署へ届け出ることにより、対象労働者は、実際に働いた時間ではなく、労使委員会の決議によって定められた時間労働したとみなす制度です。