仏像にハマるvol.6

 今年も京都の祇園祭の様子が、あいにくの大雨の中で行われた山鉾巡業の映像と共に報じられた。それでも3連休とあって、多くの観光客が京を訪れたようだ。
 もうそんな季節がやってきたのかと思いつつ、受験とあって、最近すっかり足が遠のいてしまった京都・奈良の仏像たちに思いをはせた。
 謙虚さという言葉にぴったりの仏像が、奈良の興福寺にいる。
 それは、釈迦の十大弟子のひとり、『羅睺羅(らごら)』像(http://www.kohfukuji.com/cgi-bin/kohfukuji/dispdata.cgi?id=but00009)である。
 十大弟子とは、釈迦の在世中に多くの弟子が教えを求めて従ったと伝えられる中、その中で最も重要な高弟で、大迦葉(だいかしょう)、阿那律(あなりつ)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんえん)、優婆利(うばり)、羅睺羅(らごら)、舎利弗(しゃりほつ)、目連(もくけんれん)、阿難陀(あなんだ)、須菩提(すぼだい)の10人をいう。彼らは、多くの弟子のなかでも特に知徳があった人々であり、それぞれに、さらに傑出した能力があったと伝えられている。この十大弟子のうち、6像が、興福寺国宝館にいるのだ。
 その中で、『羅睺羅』に惹かれる理由は、彼が、釈迦が出家する以前に、夫人のヤスダラ妃との間に生まれた子であるからだ。釈迦が悟りを得られ、はじめて故郷のカピラ城に里帰りされた時に弟子となった。
 出家後は、けっして驕ることなく、釈迦が定めた決り(戒律(かいりつ))をよく守り、人々の模範となり、戒行(かいぎょう(蜜行(みつぎょう)・忍辱(にんにく)))第一の人と称された。
 『羅睺羅』は、釈迦の子として、他人から絶えず注目されていることを自分自身よく知っていて、人の2倍も3倍も努力し、また身をつつしんだと言われる。
 自分が釈迦の息子であるということで、常に人一倍注目されることを十分に理解し、だからこそ、人一倍努力し、目立ちことなく地道な努力を続ける。言うは安しだが行うは難しだ。
 unizouの会社でも、ややもすると、パフォーマンス先行で実を伴わない人に限って、目立つというだけで、いいポストに座っている人がいる。
 謙虚さとは、その行いを続ける本人が立派なのはもちろんであるが、その近くでその人の姿をじっと見つめ、正確にその人となりを伝える仲間の存在があることを忘れてはならない。