TBSの誤報道とコンサルティング

 「TBSのニュース番組「ニュース23」が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐり、「行くべきでないと強く感じているわけではない」と語ったヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長(共和党)とのインタビューに「行くべきではないと強く思っている」との日本語字幕を付けて放送し、「正確でない部分があった」として後日、番組中で釈明した。」という報道があった。 
 先月には、石原慎太郎東京都知事と、日韓併合に関する発言を誤って報道され名誉を棄損されたとして、TBSに8000万円の損害賠償を求めた訴訟で、同社が「担当者の誤認とチェック不行き届きで迷惑をかけた。おわびと遺憾の意を表明すると記者発表することなどを条件とする和解が22日、東京地裁(綿引穣裁判長)で成立したばかりである。
 その訴訟の内容は、2003年11月の「サンデーモーニング」の放送の中で、石原知事が集会で「日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」と発言した部分に「100%正当化するつもりだ」と字幕を付けたことに関するものだった。
 ヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長(共和党)の発言に関して言えば、英文の否定をどこにかけるかということで、原文がないのでわからないが、こんな簡単なことを間違うのかという感じがする。
 石原都知事の発言にいたっては、耳が悪いのか、耳に誤訳機能でも付いているのかと疑いたくなる。それも、一人の人間についているのでなく、組織についているの?という感じである。
 それにしても、いつも思うのだが、「サンデーモーニング」のスポーツ担当と田中秀征氏を除いたコメンテーターほど、コメンテーターとして不適当な人たちはいないと思う。何だか妙に親しみやすい雰囲気と口調なので、庶民が受け入れやすいというのが、なおいけない。国民を誤ったほうに導くのはこう言う人たちではないかと、視聴するたびにそう思う。
 先週の日曜日、読売新聞の「地球を読む」に、外交評論家の岡崎久彦氏が「戦後平等主義の悪弊〜空虚な「激論」番組」と題して寄稿されていた。
 その文章は、いつもテレビで語っている氏の雰囲気からは想像できないような、過激な表現(unizouを含め庶民は使うかもしれないが?)で、報道番組に対して相当に憤っていると伝わってくるものだった。

 イラク戦争たけなわだったころのテレビのワイドショーは不愉快だった。
 国際情勢などに何の知識もない連中が、庶民感覚とか、主婦感覚と称して喋りまくる。こっちが、まともな話をしようとしても10秒、せいぜい長くて20秒しか話せない。それ以上になると、人の話の途中でおっかぶせて発言する奴が出てくる。世の中には、問題によって、どうしても30秒はかけないと説明できないこともあるのだ。もともとちゃんとした説明を聞いて何かを学ぼうというのが目的ではないのであろう。顔を出して、皆のおしゃべりの糸口さえ提供してくれればよい、ということらしい。
 アメリカの視聴者が学ぶことは、イラクの情勢や歴史についての専門家の知識であり、アメリカの国益大戦略についての識者の見識である。それに対して日本の視聴者は、自衛隊海外派遣の是非など、どんな素人でも一言は言えることを、大きな声で「激論」しているのを見るだけである。
 これを毎週見せられている日本人の視聴者の教養の蓄積がアメリカ人に劣っているであろうことは明々白々である。それを自覚して謙虚になるのならばまだしもであるが、その生半可な知識でアメリカを批判するに至っては、恥ずかしくて見ていられない。

 日々の暮らしが第一になっている庶民にとって、耳に優しい言葉は、受け入れやすい。
 でも、真に国民のことを第一に思うのであれば、きついことも、そして厳しいことも伝えなければいけない。
 診断士もきっとそうだろう。中小企業のコンサルタントをする際にも、相手が認めたくないこと、したくないことも選択肢として伝えなければいけない。
 耳に心地よいことばかりでは、企業が立ち行かなくなることもある。
 ただ、詩人吉野弘さんの祝婚歌にあるように、「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」ということは忘れないでいたい。