社内人事と社員の幸福

 昨日、昨年まで一緒だったH前課長と隣の席の女性同僚Iさんと帰りに飲んだ。
 そのとき話題になったのが、人を生かすということ。
 「人は、それぞれ違うので、管理職になることがその人にとって幸せなわけではない。」という話になった。
 企業経営理論的の組織論で言えば、管理職と専門職、専任職など、その人にあった道を選ぶことが大事なのではないかということ。
 ところが、H前課長に言わせると、「わが社の人事部はそんなことは少しも考えていない。」という。
 もちろん、「本人が昇りつめたい」という人もいるだろうが、そういう人に限って、傍目から見ると「なっちゃいけない人」ということもあるらしい。人事部にしてみれば、実力はそこそこあるのだろうから、本人の希望を鵜呑みにしてその道に進ませたりする。
 迷惑なのは、管理職としての適性がないのに、そういった人たちを管理職として迎える部下たちである。
 中には、途中まで昇進したものの、挫折したりする人もいるらしいが・・・。
 人事部についてH前課長がいうには、こうである。
 課の今後1年間の戦略を考える。そして、課内の構成を考えて、異動者のリストを人事部に提出する。ところが、まったく違う社員が異動になっていくという。
 現場で生に社員と接している人の意見よりも、人事部の意見が通ってしまうという。
 一体誰が、人事をしているのかという感じだそうである。
 そういえば、以前紹介した本「部下を動かす人事戦略」(金井壽宏/高橋俊介共著:PHP新書)にも、同様の記述があった。
 「7 社内人事は誰が担うべきなのか」というところに、「人事はもともと現場の仕事である。」と・・・。

 必要な人を採用し、仕事をしてもらい、育て、評価し、報酬を与える。いま人事部が行っているこのような業務というのは、もとはといえば創業者が、共同で起業したという人とともに自分自身でやっていたのだ。そのうち会社が大きくなって仕事が多岐にわたるようになると、今度はライン・マネージャーがそれぞれ必要に応じて人を採ったり教育したりするようになり、やがて機能は人事部という部署に一元化されていった。
(中略)
 したがって、経営者やライン・マネージャーの仕事のうち、人に関する部分を代行して請け負う、いってみれば彼らと不即不離の関係にあるビジネス・パートナーというのが、人事部の原点なのである。
 ところが、この人事部本来の姿が見失われているケースが、とくにここ数年はいろいろな会社で多く見られる。人事部がラインの人事権を集約してもつようになったことで、本当ならラインに奉仕する僕としての役割を果たすべき人事部が、いつのまにかラインに対して権力者としてふるまう転倒が起こってしまっているのだ。

 ・・・。まさに、H前課長の言うとおりの現象ではないか。
 そして、同書には、社員について、次のような記述がある。
 個人のパーソナリティーを形成する動機には、次の三つのタイプがあるという。
  【上昇志向・達成動機】上昇や高い目標へのチャレンジ志向性が高い、目的合理的な動機。
  【対人関係に関する動機】人に感謝されたい、人に親切にしたい、人と仲良くしたいなどの動機。
  【プロセス系の動機】新しいアイディアを考えるのが好き、逆に淡々と継続するのが好き、抽象的・概念的なことを考えるのが好きなど、何かのためというよりそのプロセスそのものにのめりこむような動機。

 そして、全社員が上昇志向であることを前提にした、過去の序列性の強い人事制度で処遇していては、非上昇型の優秀な人材は流出するか、あるいは、自分たちは組織の第二市民だと感じてコミットメントを低下させてしまう。

 社員の側でも、人の目を気にせずに、自分の能力を見極め、自分の能力を活かせるように希望し、ポストのことばかりを気にして人事に一喜一憂しないことが大事なのだろう。
 それにしても、今日のお酒はおいしかった。ほろ酔い気分で帰路に着いて、自分をしっかり見つめることの大切さを、しみじみ感じていた。