中田英寿選手と組織論

 早朝に行われたワールドカップ予選リーグで、日本はブラジルと対戦し大差で負けた。
 高校時代の友人にサッカー部の友達がいたせいもあって、高校サッカーを良く見に行っていた。高校の校長先生がサッカー協会に関係したせいか、あるとき近くのサッカー場で試合をするヤンマーの選手たちが、母校のグランドで練習をしにきていて、それを見学したこともあった。サッカー部の友達は、釜本選手からサインをもらうために、何度も並びなおして、「君、何回目?」ときつく言われていたのを今でも覚えている。亡くなった吉村選手もいたと記憶している。
 そんな青春時代を送っていたので、少なからずサッカーに関心は持っていた。
 試合を見て思ったのは、相変わらず、日本の得点力不足は否めないということ。
 今回のワールドカップは、オーストラリアに負けた時点で、WBCの再現のごとく奇跡が起こるか、そのままずるずる言ってしまうかどちらかだろうと思っていたが、WBCの奇跡の再現は淡い期待と消え、最後は夢幻のごとく雲散霧消した。
 昔から、サッカーほどいらいらするスポーツはないと思っていたが、ワールドカップ予選リーグの試合を見れば見るほど、フラストレーションがたまった。太刀打ちできないような相手なら諦めもつくし、見るのを辞めることを選択することもできる。
 なんとかなるだろう?と思って試合をみていて、結果はやっぱりフラストレーションだけがたまることになった。
 今回のワールドカップでは、WBCでのイチローの存在感を中田英寿選手に期待していた。
 しかし、残念ながら、彼は天才なのだろうが、そういうオーラが出ているようには見えなかった。
 彼のパスは、キラーパスと称されていて、そのスピードとコースは受け手が中田の意図を理解しないと追いつけない鋭いパスだといわれているそうである。それから、戦術理解や状況分析も非常に鋭いと感心させられたことも、今まで見てきた試合に数多くあった。
 しかし、残念なのは、野球が、イチローの打撃、守備、そして走塁の一つ一つの動作が、他の選手に影響し、イチローを見習って自分の持ち味を出していけば、一人ひとりの点が、つながりを持って線に、そして結果となっていくことに比べ、サッカーはパスやアシストが実際にほかの選手にされないと勝てないのである。
 つまり、中田選手がどんなに鋭い場所にパスを出しても、それに応えるチームメイトがいないと勝てないのである。
 しかし、組織とは「一人のスタープレーヤーがいても、組織としては勝てない」、そういうものだという気がしてならない。
 もし、中田選手が、一緒に戦っている選手の能力を引き出すようにパスを出しアシストをしていたら、違っていたのではないのだろうか?と、素人ながら思ってしまうのである。
 対照的にロナウジーニョは、不調のロナウドの持ち味を出してあげるようなパスを出し、アシストをしていたような気がする。
 組織の個々人の力は、決して一定ではない。だからこそ、強いものは強く、弱いものを強くするような、シナジーが必要なのではないか。
 そうすることで、個々人の力の合計以上のものが、組織として生み出されていく。
 今、20歳の頃の中田選手と何が変わったのか、そして彼に足りないものが何なのか。
 そして、彼が、どう成長していくのか、これからも関心を持って見ていきたいと思う。