真実と弁護士

 1999年に山口県光市で犯行時18歳少年の被告(25)が母子を殺害した事件の上告審判決が20日最高裁第三小法廷であった。
 1、2審で無期懲役判決を受けていたが、「無期懲役は甚だしく不当で、著しく正義に反する」として1、2審判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。特に酌量すべき新たな事情がない限り、差し戻し審で死刑判決が言い渡される公算が大きいという。
 被害者の夫である本村洋さんは、「彼には死をもって償うしか自ら犯した罪を償う術はないというふうに私は考えてます。少年が反省するということと、犯した罪に対する罰を受けるという事はまったく別の問題だというふうに考えています。犯罪被害者の方々が手を携えて声を上げることで日本の司法は大きく変わったと思っています。その点については司法に携わる方には深く感謝しております」といっている。
 一方、弁護人は、元少年の弁護人は「裁判所が自ら示してきた死刑の適用基準を大きく逸脱し、適用を積極的に認めようとするものであって不当である」とするコメントを発表しているという。
 被害者と加害者、そして弁護人。

 こういった事件の場合、人権派の人?たちは、人が人を裁くことができないといい、更生して罪を償うことが大事なことだという。
 被害者に近い人たちは、復讐に近い怨念で、死刑を望む人が多いだろう。

 しかし、今回の事件について言えば、被害者の夫の本村さんは、unizouには復讐というより、被告が罪を償うこと、 それが、今回の事件の場合は死刑しかないと言っているような気がしてならない。
 
 確かに、人が人を裁くことはできないかもしれない。
 では、自分が被告の立場で、本当の意味で、被害者や被害者の家族の深い悲しみを理解したとしたら、生き続けることができるだろうか?
 unizouには、恐ろしくて生き続けることはできないような気がする。
 罪を償うからと、更生すればいいからという生半可な気持では、生きていけない。
 それほど、人を殺めることは、大変なことなのだ。
 であれば、死刑にしてくれることに慈悲の気持さえ感じるのではないだろうか。
 もちろん、すべての事件がそうだと言っているのではない。
 今回の被告は、まさに鬼畜以外の何者でもないのだ。
 だから、罪を死という形で償い、人間として再生することが一番だという気がするのだ
 弁護士は、死刑でなく無期懲役になり、あと十数年経って、被告が出所してきても、きっと、その後の面倒を見ることはないだろう。
 皆さんは、しばらく前にやっていた映画で、「エミリー・ローズ」というホラー映画のようで、実はサスペンス映画をご存知だろうか?
 エミリー・ローズというごく普通の女子大生が、何かに取り憑かれ、神父に悪魔祓いを頼むのだが、その甲斐なくエミリーは命を落としてしまう。彼女には悪魔が取り憑いていたのか、それとも単なる病気だったのか。悪魔祓いをした神父は、過失致死で起訴され裁判が始まる。裁判の弁護を引き受けた女性弁護士は野心的で、殺人犯さえも軽い刑にするほど。しかし、その殺人犯が、また、殺人を犯している。真実を巡る緊迫の裁判の中で、彼女が、真の弁護士とは何かを問い、苦悩する・・・。

 真実は、一つなのである。それは、被告の心にある。
 弁護士は、それを、開いてあげることが仕事なのだ。
 もし、そうでなければ、命の重みを自ら否定し、天に唾することにならないだろうか・・・。