米軍基地と聖職

 土曜日の夜、NHKテレビの「日本の、これから」という討論番組で、「米軍基地」のことを議論していた。
 議論を聞いていていつも思うことだが、なぜ、議論をする必要があるのかという気持になってくる。
 土地を鑑定評価するときに使う言葉に、嫌悪施設というのがある。
 KEN HOUSING 不動産取引用語集(http://www.8111.com/info/term/yogo10_1.html#ke_17)に詳しいので紹介すると、「その施設の存在が、周辺の人々に嫌われる施設のこと。住宅街のなかにこういた施設がある場合、不動産の値付けに際してマイナス要因となる。具体的には、住宅地の品位を落とす施設(パチンコ店や風俗営業など)、公害発生施設(大気汚染や騒音、悪臭などを発する工場など)、嫌悪・危険施設(ゴミ焼却場、火葬場など)」をいう。
 嫌悪施設を建設するときには、公共的なものでさえも、近隣に居住する当事者になれば反対する。どこの市町村でもあると思うが、unizouの町でも、もう何年も前から町外れに火葬場設置計画があるのだが、結局、反対運動に遭って計画は頓挫したままだ。
 だから、必要なものでさえも一向に建設できないことになる。
 当事者の意見を聞けば、「嫌なものは嫌だ。」という議論に陥ってしまう。
 町の問題であれば、その地域の人は反対し、それ以外の地域の人たちは、必要性を議論することよりも、感情論になるのを懼れて無関心を装うことになる。

 もう一つ、米軍基地問題で取り上げられるのが、沖縄米兵少女暴行事件がある。
 ウィキペディアフリー百科事典によると、
(おきなわあめりかへいしょうじょぼうこうじけん)とは沖縄県に駐留するアメリカ合衆国海兵隊の兵士3名が、12歳の女子小学生を拉致したうえで集団で暴行行為を加えたという、婦女暴行致傷および逮捕監禁事件である。しかし、海兵隊員の関与が明らかにもかかわらず当時のアメリカ政府と日本政府との間で締結された日米地位協定によれば、日本側が起訴しなければ身柄を引き渡すことは出来ないという取り扱いであったため、沖縄県民にくすぶっていた反基地感情が爆発し、日米地位協定の見直しのみならず、アメリカ軍基地の縮小・撤廃運動にまで発展する契機となった。

 そして、こういった事件が起こるから、米軍基地はいらないという感情的な議論になる。
 しかし、許せないのは、米軍というよりその3人の兵士である。人間として、この3人は許されない。だから、糾弾されるべきである。また、組織としてのあり方や対応策を考える必要があるものの、組織そのものの存在意義とは関係がない。
 どの組織にいても、その組織が大きければ大きいほど、不届き者は出てくる。
 警官にしても、自衛官にしても、そして、教師にしてもそうである。そういう大くくりで考えれば、そういった不届き者が新聞を賑わしているのが、現実である。
 しかし、ほとんどの人はまじめに、真剣に、そして一生懸命職務に取り組んでいる。
 米兵にしても、同様である。
 米兵が犯罪ばかり起こしているという根拠による議論は、成り立たない。多くの米兵は、アメリカ国民のため、そして、アメリカと同盟を結んでいる日本とその国民のために、命を賭している。

 だから、住民感情と米兵の起こした事件の二つのことから、米軍基地問題を議論するのは間違っている。
 日本は、一体どういう方向へ進むべきなのか。

  • 防衛は必要なのか、そうでないのか。
  • 必要だとしたら、どういった方法でやるのか。
  • 米国との同盟関係を現状のまま維持するのか、しないのか。
  • 基地は、どこに作ったら、効率的に効果的に国を守れるのか。
  • その場合、近隣住民の生活環境を守るために、立てるべき十分な対策は何か。

 こういった、感情論でない、真摯な議論をすべきだと思う。
 いつも言っていることだが、人間は放っておくとろくなことをしない。
 最初からの聖人はいない。警官も自衛官も教師も、本当は聖人ではなく、ただの人間である。
 しかし、誰もが、自己犠牲を払ってその職についている人たちを尊敬するようになれば、聖職になっていく。だから、人のために命を賭している人たちを、貶めるようなことはしてはいけない。
 NHKテレビの「日本の、これから」は、点数をつければ、30点にもならない?
 当事者の感情や情報を、世間に垂れ流して、悪い方向へ導いている。
 今のまま続けるなら、やめてもらいたい番組である。