地域再生と旭山動物園

 先日ドラマ化されたこともあってか、旭山動物園の名をよく見聞きする。
 旭山動物園は、旭川市にある日本最北の市営動物園で、現在、1年間の総入園者は、上野動物園につぐ第2位の約200万人に達するほどの人気だ(http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/)。
 この人気の裏には、動物園関係者の並々ならぬ熱意・努力がある。というのも、昭和42年にオープンした旭山動物園は、昭和58年をピークに来園者が減少に転じ、一度は廃園の危機にさらされた。そして、そこから再生し今の地位を築き上げたため、その物語が、地域再生の鏡として注目されている(http://www5.hokkaido-np.co.jp/pet/asahiyama/index.php3。)
 来園者が減少に転じてまもなく、市議会では、一部の議員から「不要論」が起こり、動物園を維持する最低限の予算(4億円)しかつかない状態になっていった。
 最低限の予算の中で飼育係たちは、飼育体験や知識を基礎に「お金があれば、こんな施設を造りたい!」と夢をスケッチに描いていった。このスケッチ14枚こそ、現在の旭山動物園を全国区にする原点となったのだそうだ。
 追い討ちをかけるように、平成6年、ローランドゴリラとワオキツネザルエキノコックス症に感染して死亡。8月半ばで閉園し翌年開園したものの、この騒動で入園者数はさらに落ち込んでいった。
 入園者数こそどん底ではあったが、「動物の素晴らしさ、動物とふれあう楽しさを感じてもらい」との思いと飼育係たちの将来の動物園にかける夢を実現にするために、園長が1年間にわたり市側と交渉、市長が動物園の取り組みに理解を示し、施設の新規整備などの予算がつき始めた。
 予算がついたことから最初に手掛けた施設が平成9年4月に完成した「こども牧場」、動物を抱き、命のぬくもりを感じられることから子供たちの人気の的となった。
 そして、平成9年9月の「ととりの村」完成、今や旭山動物園の代名詞ともいえる「行動展示」の第1号施設だ。これまで日本の動物園では動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」が一般的だったのを、動物本来の行動や能力を見せる生態・行動展示を取り入れたのだ。巨大な「鳥かご」の中に人間が入って、鳥たちの生態を観察するバードケージが「ととりの村」なのだ。
 平成11年に「さる山」が完成した頃から入園者が増加しだし、平成12年に完成した「ペンギン館」は、水の中を飛ぶように泳ぐペンギンの姿を見られるという動物園では、初めての施設。 その後も、14枚のスケッチから始まった「夢」が、平成13年に「オランウータンの空中運動場」・平成14年に「ほっきょくぐま館」・平成16年に「あざらし館」と実現していった。
 感心するのは、パンダ、コアラという珍獣がいるわけではなく、どこの動物園にもいる動物が主役として人気を集めていることだ。あくまでも、動物の見せ方で、他の動物園には見られない独自性を発揮し、全国を商圏とできるほどに差別化されているのだ。
 旅行会社では、旭山動物園訪問を目玉に企画されるツアーも多いと聞く。この夏休みunizouも是非行ってみたいものだ。