人を思いやる想像力

 朝からトラブルが勃発。
 課内の補佐二人が、仕事の処理を巡って、朝から言い争いに。
 担当補佐のうちの一人は女性。
 最近、自分の仕事が忙しいこともあって、言い方に棘があることが多く、それが男性補佐の気に障ったのか口論になった。始業時間前のことで、静かな社内に、二人の口論の声だけが響いている。
 隣にいるunizouも、既に出社した社員も、ただ、黙って聞いているしかない情勢。
 実は昨日も、女性補佐は自分が担当している係りの仕事のやり方で、部下の社員に注意(絡んでいたという方が正しい)していた。
 今回の問題の発端は、いままで、その問題事案を先送りにしてきた先輩たちのせいではあり、未だに、事なかれ主義が横行していて、問題になってから対処する本社の対応が根源にあるのだが・・・。
 しかし、彼女も、上司として、課内、社内を見据えた取組をしていない。
 昨日の一件もそうだった。仕事の一部である、パーツを取り上げて、自分の思うようにやっていないことだけに腹を立てていた。
 彼女は、「自分は他にやることがあって忙しいし、それは担当係長と担当者の仕事。しっかりやって!」とだけ言うのみ。
 本当は、「なぜ、彼女の思っているようにそれができないのか?」、「どこに問題があるのか?」、「どうしたらうまくいくのか?」を考える必要があるのに、ただ、担当者を突き上げて溜飲をさげているようだ。
 自分の仕事に忙殺されて、目が行き届かないというのは、上司としては失格である。
 課題を見つけ、その課題に対処しながら、社員の業務効率を上げ、モチベーションを持続させるのが努めである。
 最近の彼女は、どうかしてしまったようだ?
 しかし、彼女だけでなく、最近の日本人全体にいえることかもしれないが、人の顔色や行動をみて、その人に何かあるのかを理解する本能的な能力を失ってしまったようだ。
 そのことは、上司や部下という関係だけに止まらない。家庭内や学校でもそうであるように思う。
 相手の顔色を見て、悩みがあるとか、嬉しいことがあったとか、そういったことを把握する能力が欠如していると思うのだ。
 だから、うつ病などのメンタル面での病気になる人が多いのではないか。
 関心がないのか?洞察力がないのか?
 相手の様子を見ていると背景はわからなくても、何か心に引っかかっているものがあるだろうということだけはわかる。わかれば、声をかける。直接的な話はしなくても、雑談の中で、様子を窺う。向こうから切り出す場合もあるだろうし、雑談をしていく中で情勢がわかってくることもあるだろう。そうすれば、相手の立場になって、問題を解決していくことができる。そして、本人にとって大きな問題になる前に、沈静化する。
 例えば、昨日の件にしても、係りの様子がおかしいと気付くことは可能である。上手く仕事がはかどらない、段取りできないなど、きっと、以前から社員の顔に出ていたはずである。彼女は、そのシグナルを見損なったのだ。
 しかし、彼女も犠牲者ではある。彼女より上席の補佐も、そして課長も、彼女の仕事の中身や忙しさに、洞察力が働いていない。「大人なんだから自分で処理しなさい!」というのが本音なのかもしれないし、対岸の火事と思っているのかもしれない。その真意はわからない。
 でも、本当は自分のところの火事なのだ。課内に燃え広がって、消すことができない情勢になってから大騒ぎしても、もう手遅れである。
 そんな、職場の情勢はunizouだけのところだけでなく、きっと日本中いたるところにあるだろう。
 会社という組織ではあっても、所詮は人間の集まりであり、良くも悪くも、やっかいな存在なのだから・・・。
 人を思いやる想像力に乏しい人間同士では、日常茶飯事のようにトラブルは起き続ける。