都市計画とウサギ小屋

 街中を歩いていると、最近マンションブームなのか、やたらにマンションの建設現場が多い。そして、必ずといっていいほど地域住民?(といっても周りの10件くらいだが)が、のぼりや壁面に看板をつけて、反対の意思表示をしている。
 こんな状況で建つのかな?と見ていると、半年もすれば、マンションの入居者が引越ししている光景に出くわす。
 「なーんだ。反対運動も実らなくて、結局、業者の勝ちか?」と・・・、そして、反対の意思表示をしたのぼりが、むなしく風にはためいている。
 それも、そのはずである。業者は、中小企業診断士「運営管理」で習った都市計画法用途地域に基づいて建てているのだろう。そうでなければ、いくら行政が鈍感でも、反対運動が起こっているところで違反行為があれば、動かざるをえないだろうから・・・。
 先月30日の最高裁第一小法廷でも、マンションの建設と景観権を争った裁判の判決があった。
 東京都国立市の高層マンションが景観を損なっているとして、周辺住民と隣接する桐朋学園が、建築主の明和地所などに建物の高さ20メートルを超す部分の撤去などを求めた訴訟の上告審判決で、「良好な景観の恩恵を享受する利益は、法律上の保護に値する」との初判断をしたが、問題のマンションは「高さを除けば周囲の景観の調和を乱す点は認めがたい」などとし、住民側の上告を棄却した。住民側を逆転敗訴とした2審判決が確定した。
 一体この国の土地政策とは、戦後どういうものだったのだろうと、改めて感じる。
 都市計画の基本理念は、都市計画法の第2条に、「都市計画は、農林漁業との健全な調和を図りつつ、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと並びにこのためには適正な制限のもとに土地の合理的な利用が図られるべきことを基本理念として定めるものとする。」と規定されているが、「農林漁業との調和(一体なんのこと?)」と、「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保」というが、その目的を達成しているのだろうか。
 東京駅周辺から、少し離れた神田近辺でさえ、未だに2階建ての住宅がビルの隙間に埋もれるように建っている。都市計画法ができてから40年近くになるが、「機能的な都市活動を確保すべき」と謳いながら、一向に代わり映えしない。
 都心から電車で30分程度の町に行くと、今度は、駅から歩いて5分もしないうちに、田んぼや畑が現れてくる。それも、人口100万の政令指定都市である。建売住宅が、狭いところでは20坪、広くても40坪の家が微妙な押し競饅頭のように軒指しがお互いに触れ合いそうな状況で建てられている。
 一体これで、健康で文化的な?と言えるのかと思う。
 以前に書いたが、「シャッター通り」も同じようなことである。職住接近で建っていて、店はやめたが、居住している。跡取りもいないし、貸すこともないケースもある。
 こんな疑問に答えているのが、最近読んでいる「亡国マンション:著者 平松朝彦 光文社刊」である。

「いくら人が増えたとしても、人の居住には十分な広さが必要であり、良い環境とは、緑あふれ、採光なども十分にとれることだろう。この矛盾を解消する鍵は、マンション高層化と郊外の広い敷地の宅地化とまったく異なる二つの要素のバランスであり、都市計画とはそのバランスをどうするかということだ。」
「本来、都市計画とは、都市の将来像を見極め、住宅をどのように供給するかという視点が重要となる。つまり今から思うと、農地をどのように住宅化し、さらに市街地を高層化、都市化させることの方法論が必要だったのだ。」

 私たちは、中途半端に妥協してきたせいで、結局、住み心地も悪い住環境で、一生暮らさなくてはいけなくなっている。そして、こんな“ウサギ小屋”なのに、大喜びして引っ越していくのだが、突き詰めいていくと、そんなに大喜びするほどのものでもないのである。