ワールドベースボールクラシック(WBC)と愚直に生きることの意義

 ワールドベースボールクラシック(WBC)で、日本が世界の頂点に立った。
 いろいろ物議を醸した大会だったが、チームJAPAN一丸となって優勝を手にした。
 まず、王監督を始めとするコーチ陣や選手諸君におめでとうと言いたい。
 特に、イチローが、実績はともかくとして、今までのイメージを払拭するように、“孤高の人”からチームリーダーとして大活躍したのには驚いたし、多くのことを学ばせてもらった。
 イチローが打席に立ってヒットを量産するのを、天才であるイチローにとって至極当然のことのように、人は思っている。
 ところが、イチローは、誰よりも早く球場入りし、入念に体をほぐし、そして試合に向けて気持を高めていく。また、人より多くのスイングを毎日こなし、守備練習をおこなう。
 天才と呼ばれながらも、愚直なほどに自分の肉体をいじめ精神を鍛えて真摯に野球に取り組んでいるのだ。
 その結果、彼だから難なくできると思われている大記録をいくつも樹立し、億単位の報酬を得ているのだ。
 この「愚直に、真摯に取り組む。そして、生きていく。」ことを、イチローような著名な人に対しては称賛するが、いざ自分や身近な人のことになると、なおざりにする人が多い。 平凡で少ない所得で生活を送っている人にとっては、「愚直で、真摯に取り組みこと。そして、生きていく。」ということは、要領が悪いやつであり、バカにされる対象なのである。
 読売新聞の朝刊「論壇2006 3月」で、ニートについて心理学的アプローチが必要と主張している精神科医小田晋氏の分析について書いていた。

 氏は、情報化社会がニート特有の内面性を育んだとして、「『自己実現病』『自分探し病』といえる特別な生き方をしないと生きている価値がないという考え方を生み、ごく普通に働いて真面目に生きていく生き方をみんな毛嫌いしたり馬鹿したりするようになった。」と分析している。

 イチローのように華やかな世界とごく普通の平凡な生活。
 イチローの野球に対する愚直な姿勢と、ごく普通の仕事に対する愚直な姿勢。
 一体どこに差があるのだろうか。確かに報酬や人に与える影響は違うかもしれない。
 でも、イチローの成し遂げたことも、ごく普通に我々がやっている仕事も、なくていいというものではない。すべてが、変わらずに必要なことなのである。
 イチローの華やかな活躍の裏に隠された愚直な生き方を称賛しながら、同じように愚直に物事に当たっていく自分にもっと誇りに思って、毎日を生きていければと思う。そして、同じように愚直に生きている身近な人にも、称賛の眼差しで接していきたいと思う。