心のバリアフリーⅢ

 金曜日の通勤途上でものすごく後悔した出来事があった。
 いつもの乗換駅に着くとunizouの前を歩く白杖を持った目の不自由な人2人を見かけた。
 2人が、兄妹なのか、ご夫婦なのかは分からなかったが、互いに手を取り合って、白杖で進むべき道を探していた。
 unizouが2人に目をやったとき、白杖がちょうどコンコースの柱に触れていて、どちらへ進もうか迷っているかのように見えた。
 しかし、unizouは2人に「お手伝いしましょうか?」のひと声をかけることができなかった。「後ろから急に声をかけて、驚かせはしないか?」「慣れた道で、柱に当たって右に行くと分かっておられたら、返って混乱させてしまうかも?」と色々な考えを頭の中でグルグル巡らせながら。
 しかし、やはり後悔した。声をかけられなかった自分に、そして一旦通り過ぎたあと、引き返せなかった自分にも。
 昨年12月に社内で、「バリアフリー研修」を受け、12/21付で「心のバリアフリー」と題し、「『ひとりひとりを尊重し、思いやりをもって接すること』、言うは易し行うは難しであるが、心のバリアフリーを実現できるよう、今すぐ出来ることから始めてみよう。」なんて、格好いいこと書いておきながら、結局unizouの心の中に「バリア(壁)」があったのだ。
 3/14付読売新聞朝刊の読者からの投稿欄「気流」に、19歳の専門学校生が、「勇気をもらい、小さな親切続ける」と題した文章を寄せていた。
 何でも彼女は、ここ1年くらい、電車でお年寄りや妊婦さんに席を譲っているという。
 それには訳があるのだそうだ。
 以前駅の階段で前を歩く白杖を持った目の不自由な人が転ぶところを見かけたのに、驚いたあまり、引き返してしまい、後から本当は手を差しのべて助け起こすべきだったと後悔し、その晩は眠れなかった。
 また、犬を散歩させているお年寄りが目の前で転んだときは、小学生の男の子が助けに走り寄るのを私はただ立ち尽くして見ているだけで恥ずかしさで胸がいっぱいになった。
 ある日、勇気を出して席を譲ったら、笑顔を感謝が返ってきた。
 私の背中を押してくれたのはあの男の子、私のしていることも誰かの背中を押すきっかけになればと思っている。
 と、こんな内容だった。
 彼女の教えも分かっていながら、今回unizouは活かすことができなかった。
 今回のことを反省し、次回こそ勇気をだして、自分の心のバリアを溶かしたい。