組織暴力

 読売新聞が、組織暴力についての特集「許すな組織暴力」を連載している。
 以前から、なぜ、この国はそれとわかる人達が立派な門構えの家に住んでいるのかと不思議で、関心があった。
 平成4年3月に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、通称暴対法制定当時は、かなり、組織暴力に対する世間の目が厳しかったが、ここのところ、すっかりそんなことは忘れてしまったかのようになり、山口組をはじめとする三大勢力による寡占化が進んでいるという。
 暴対法については、暴力団員数の減少、暴力団事務所の撤去が進むとともに、対立抗争事件数も減少し、その継続期間も短縮傾向にある。さらに、暴力団員による資金獲得活動も困難になったなどの効果が評価されている反面、暴力団の活動が法律に触れぬように巧妙になり、一般企業社会への進出(企業舎弟の増加)や組織擬装が増加するなど、組織の不透明化・マフィア化が進み、組織犯罪の国際化が見られるようになったという評価も一方である。
 しかし、これは、元々、暴対法自体が警察だけの一面的な取締りに過ぎないのであるから、仕方ないことである。
  全米のマフィアは、20以上のファミリーが存在するというので、なくなることはないのであろうが、読売新聞に掲載されているように組織暴力団の仕業とわかるような表立った行動をすることは絶対にありえないことである。
 これは、アメリカと日本の対策が、根本的に違うからだと思っている。
 アメリカ・シカゴの暗黒街のボス、アル・カポネは、1931年、エリオット・ネスに率いられた特別捜査チームは脱税容疑でカポネを摘発された。(懲役11年の判決を言い渡されたカポネはアルカトラズ刑務所に収監された。)
 また、アメリカでの対策をすべて表しているのかわからないが、女性検察官の下に行政の担当者が集められ、行政に絡んだ犯罪行為を端緒にマフィアの摘発をしていくというアメリカ映画を見たことがある。
 日本においては、行政が、守秘義務を縦にお互いに協力し合うことはない。
つまり、警察のみに頼った対策には限界があり、行政が一丸となって組織犯罪に対応すべきなのだと思う。
 特に、アル・カポネの摘発のように、組織の資金源を絶つためには、国税をはじめとする徴税機関の対応が重要だと思う。また、以前から言われていた暴力団員の生活保護の不正受給についても、総務省が取り組んでいる。

厚生労働省は06年2月28日、暴力団組員の生活保護費受給を四月から認めない方針を固めた。高齢化の進展などで生活保護給付費が増加し続ける中、保護費が暴力団の資金源になる恐れがあるとして、社会正義上問題が大きいと判断、給付費の抑制を図る。これまでは、組員かどうかの確認が難しいことなどから、受給を認めるケースも少なくなかった。今後は警察と連携し、情報提供などを求めていく。

 亡くなった伊丹十三監督が、「ミンボーの女」のパンフレットで、「人は誰でもやくざを恐れる。やくざの前では、目を伏せて、かかわりあいにならぬようにして生きている。やくざの前では人々は誇りを踏みにじられ、屈辱に耐えている。私がやくざを許せないのはそこなのです。やくざが人々を恐怖で支配し、それによって意思決定の自由を奪い、人々に屈辱の人生を強いることなのです。」というメッセージを、以前ブログで紹介した。
アメリカⅡ http://d.hatena.ne.jp/unizou1972/20051002
 unizouも関わりたくないが、そうなるのは嫌である。でも、一方でその世界に頼る人達がいる。
 暴力団の世界は、ドロップアウトした人の世界で表面的には楽な世界に思われがちであるが、民間企業の出世競争や受験競争などに比較できないほど、頭脳と胆力を必要とし、トップにのし上がるのは、違った意味で一部のエリート中のエリートだと言える。多くは使いぱっしりである。
 できれば、そんな苦しい世界に入らないで、人間らしく生きてほしいと思う。いつも、生死の際を、世間の目を気にしながら生きていくのは、本当につらいことであり、結局は、一部の組織のトップのために生きているのだから・・・。