先祖代々

 unizouには、先祖代々の土地もなければ、事業もなく、かといって大きな借金もない。
 世の中には、unizouのような人間も多いが、逆に借金は別としても「先祖代々の×××」を守り抜くために生き、楽をしている人もいるし、苦しみを感じている人も少なからずいる。
 unizouにとっては、「先祖代々の×××」は、マイナスのイメージが強く、また、もう変えるべきシステムのような気がしてならない。
 今の時代にそぐわない「先祖代々」なんて、「もういい加減やめたら」という感じである。形見分けにしては、十分過ぎるケースが多いし、巷間言われている「所得格差」の根源は、そこにある気がしてならないとも感じるから・・・。
 特に、「先祖代々の土地・事業など」は、一旦白紙に戻して、誰でも同じスタートラインに立つことで、今言われている世の中の弊害が一気に解決し、多くの人にやる気が出るのではないかと思っている。
 例えば、土地。土地を相続した人にとって、その土地を活用し生活の糧にして生きることは当たり前のことかもしれない。しかし、やる気のない相続人が所有すると土地の有効活用はされず、死んだ土地になっていく。
 もちろん、相続人本人にとってもよろしくないし、周りの人達にも「先祖代々の土地を持っているだけで×××」と思われる。×××にろくな言葉は入らない。
 周りの人達は、土地が住宅地であれば、その土地だけで生活する相続人を「どら息子」「どら娘」と呼び、周りの人にとって迷惑なのはその土地が固定化されてしまうことである。unizouが普段目にする近隣の空き地は、相続税を払うために、小さな区画の分譲住宅になっているのが関の山である。
 また、その土地が農地であれば、承継者がいない、まさしく不毛の土地に移り変わっていく。 事業用地であれば、「シャッター通り」の一区画を形成していく・・・。
 しばらく前になるが、香港に旅行し、途中中国の深圳まで足を伸ばした際に、ガイドが「中国の土地の所有権は70年」と話していた。そのことに関しては、日本も真似たらいい気がしてならない。所有権でなければ、国から借りる方式にするのもいいかもしれない。
 次に、事業承継。
 今の時代には、親のやりたいこと=子のしたいことにはならない。
 承継しなければいけない運命なのでやむなく承継する人達が多いのであり、本当は違うことを子は考えているケースが多いと思う。
 中小企業白書の第三部「日本社会の活力と中小企業」第二章「中小企業と人材を巡る諸課題」の第三節に「後継者に関する課題」という項目がある。
 その中で、親の事業の承継について、「承継者は決まっておらず自分が承継するつもりはない」と答えた就業者は、49.5%になったそうである。半数近い人が、親の事業承継を考えていないのである。その理由は、「親の事業に将来性・魅力がないから」が45.8%と第一位である。
 しかし、本当は、今の世の中のように個人の自由な意思が第一義的に優先される時代になれば、親の事業を承継しないのは当然のことだと思う。
 だから、企業であれば、公のものとして私物化しないためにも、「先祖代々の×××」にならないようにすべきだと思う。
 土地や事業については、「自由と民主の国からは程遠い社会」なのではないかという気がしてならない。