引き際の美しさ

 今日の民主党永田寿康衆院議員の謝罪会見及び民主党の党声明を聞いていて思ったことは、引き際の潔さ、美しさということだ。
 個人的には、送金メール問題で重要なのは、メールそのものの真偽より、メールに書かれていた事柄(ライブドア前社長の堀江貴文容疑者が武部勤自民党幹事長の二男への送金を指示したこと)それ自体の真偽であると思うが、「偽メール」と騒ぎだしてからは、その議論がめっきり沈静化してしまい、どうも問題がすり替えられているような気がしてならない。
 今回の民主党の描いた引き際は、①メール問題を国会で取り上げた永田寿康衆院議員を6カ月の党員資格停止処分とし、②永田氏の説明をうのみにした責任を取るとして野田佳彦国対委員長が辞任するということだった。
 2/16の衆院予算委員会でメール問題を取り上げて以降、国政を半ばストップさせたロスは計り知れない。そのことを十分分かっているのだろうか?
 問題をよく理解した上での対応だったかというと疑問の残る幕引きだ。
 引き際のうやむやさで言えば、防衛施設庁の官製談合事件もしかり。
 早期退職した施設庁幹部が、総合建設会社や空調会社に天下るという悪しき慣習がこの問題の温床だ。
 退職後、受注企業へ再就職するには、規制期間が2年間ある。
 この間、身をよせるのが、前技術審議官の生沢(いけざわ)守容疑者が理事長を務める「防衛施設技術協会」(東京都台東区)、まさに天下りのための「トンネル機関」だということが明らかになった。
 対照的に、引き際の美しさで印象的なのは、第58代横綱千代の富士(現九重親方)。
 「体力の限界!」「気力もなくなり引退することになりました。」
 1991年5月場所、飛ぶ鳥を落とす勢いの弱冠18歳の貴花田と大横綱千代の富士が初日に対戦した。千代の富士はこの取組に敗れ、その2日後に引退を表明、この際に千代の富士が涙をこらえながら発した「体力の限界!」の一言は本当に精魂燃え尽きた者の言葉だった。
 相撲界の最高峰として、常に優勝を求められ、負けが続けば否応無しに引退が迫る、優勝か引退かが背中合わせという過酷で孤独な状況にある横綱が、引退を決意するときの発する言葉には、やはり重みと深みがある(http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/003/002.html)。
 企業戦略においても、撤退戦略は非常に重要な戦略として位置付けられ、その難しさがよく指摘される。その難しさとは、どの事業分野からいつ撤退するかを正確に判断し、財務的損失のみならず、企業イメージや従業員の士気の低下などを含む撤退のロスを最小限に食い止めること。撤退コンサルタントもいるほどだ。
 現役からの引退は、スポーツ選手や会社員、誰にでも訪れる。
 そのときの身の引き方は、潔くありたいものだ。