「今」を精一杯生きる

 自分の人生に向き合う姿勢というのが、人によってこんなに違っているのかと言うことを考えさせられることがあった。
 それは、先日もブログで書いたが、社員を対象に行ったライフプラン研修のアンケートを読んで、そう感じたのだ。
 同じ会社の社員だから、個人的な状況は確かに違うが、収入や仕事内容は、さほど変わらない。もちろん、同期入社であっても、その人の能力によってポスト面での差は出ているが、だからと言って他社に比べれば、文句を言えるような会社の状況ではないはずだと思う。
 しかし、アンケートを読んでいて「この人は毎日楽しく、いや、楽しいとは言わないまでも、それなりに何かを感じながら生きているのかしら?」と思ってしまうのである。ライフプラン研修をいくらやっても、この人は、きっと、「何も得るものがない!!!」と思っているか、「何を言ってやがる!!!」と言った感じで研修を受けているのだろうと感じてしまうのだ。
 そして、本を読んでも、映画を見ても、そして、旅行に行って綺麗な風景を見ても、自分とは違う誰かに出会っても、きっと、感動する心をもう持ち合わせていないのではないかと感じるのだ。
 unziouを含め誰もが、毎日知らない何かに、それは人であり、物であり、知識などだと思うが、出会っているはずである。そして、自分の姿を見直したり、人間と言う大きなくくりで物を考えたり、見たりする。しかし、きっと、そういった人達は、そんなことを考えることもなく、毎日の生活を同じ景色だと感じて生きているのだろう。
 しかし、感動する心を持ち合わせていないで、生きている価値があるのかしらとunizouは思ってしまうのだ。
 「自分は一体何のために生きているかしら?」と思うより、「自分を必要としてもらえないかしら?」とか「生きている自分を生かしてもらえないかしら?」と思うほうがいい。
 人の生き方は、人それぞれでいいのだと思う。以前、unizouが受けたライフプランの講師は「見つめよう自分!見つけよう自分」と言っていた。
 いくつになっても、どんな状況になっても、知らない自分を発見し、自分のいる場所を自覚して生きる。所詮、何もできない自分に落胆しつつ、少しでもできたことに喜びを感じて生きる。
 読売新聞の「人生案内」の欄を担当している診療内科医の海原純子先生の相談に対する回答を読んでいると、そんな生き方がいかに大事かと一層意を強くすることがある。
 しばらく前になるが、重圧で入試を断念し、後悔が募っている高校3年の女子の投稿に先生が回答しているものがあった。その女生徒は、「後悔が頭を離れず、どうしようもなくつらくなるときがある。これからは、後悔のない生き方をしていきたい。この複雑な思いをどうしたらよいか。」という相談をしている。それに対し、先生は「そのためのベストの方法は、『今』置かれた環境の中で最大の努力を惜しまないことです。・・・後悔するのは逃避です。『今』できることを努力するより、後悔しているほうがてっとり早いかもしれない。今できることを精一杯していれば、後悔する時間もない・・・。」と。
 私たちは、人と比べたり、結果に落ち込んだりしがちだと思う。でも、今、このときを精一杯生きることで、何かが見えることがあるはず。
 ライフプラン研修を受けた一部の厭世的な人達にこそ、ライフプラン研修が重要で、「真っ白な気持で研修を受ければ、きっと何かが変わっていくのに・・・」と感じるのだが。