モモ
机の上に読みたい本が、何冊も積み重ねられている。
その中で、昨年の9月くらいに買った「モモ」という本がある。
作者は、ドイツのミヒャエル・エンデという作家。かなり有名な童話作家らしいが、今まで聞いたことがなかった。
ところが、かねてから、その生き方に共感を覚えている東大名誉教授の月尾嘉男先生が、テレビで紹介しているのを見て、「読んでみよう!」という気になり購入したものだった。
それから一向に読めずに、机の上にほこりをかぶったままになっている。
購入した際に、unizouの隣の席の先輩女性社員に聞いたのだが、彼女は文学を専攻していたこともあって、「あれは、面白いし、考えさせられるわね。」と感想を話していた。
そして、「私たちも、時間を売ってお金を得ているようなもので、得たお金で何か得られるかというと、慌しく時間を使うばかりで、何のためにせかせか働いたり、生活したりして生きているのかしらと思うことがあるものね。」とも言っていた。
彼女の仕事は、社内の健康管理を担当しているのだが、ご他聞にもれず、わが社内でも、世間同様にメンタル面で異常をきたす社員が多くなっている。
彼女に言わせると、「そういった原因は、助けを求めている人の声を、時間に追われてしまっている周りの人間が、聞けなくなっているせいではないかしら?」ということだった。
もちろん、上司や同僚などの会社の人間だけでなく、家庭での夫や妻、父母、そして子供との関係もそうなのかもしれない。
そして、最近「ホリエモン逮捕」により、「拝金主義」なる言葉を目にすることが多くなった。
その言葉を聞くたびに、お金はないよりあったほうが良いが、お金に振りまわされるようになるのも、幸せなのかと思う。ホリエモンやunizouを含めたホリエモンもどきの人達も、 お金のために、時間を慌しく使っていく。得たお金を使って、また、時間を慌しく使う。そんなことの繰り返しではないかとも・・・。
以前にもブログで書いたが、ユングは幸せの5条件の一つに「程よいと思える程度のお金を持っている。」 ということを挙げている。
持ち過ぎていても、それを維持することは大変だし、死んでからあの世へ持っていけるものでもない。
その辺のことも良く考えて、自分の持ち時間を豊かに使えるくらいの「程よいお金」があればと考えたほうがいいような気がする。
少し読み始めた「モモ」の最初の部分に、こういうくだりがある。
「なんであれ、時間というものがひつようなことがあります―それに、時間ならば、これだけはモモがふんだんにもっているものなのです。」
unizouにしてもそうだ。モモと同じように時間はふんだんにある。
ふんだんにある時間を、どのように使っていけば「豊かに生きられる。」ということなのか?
まだ、読み終わるまでしばらくかかるかもしれないが、読み終わったら、ブログに感想を書いてみようと思う。