所得格差と「国家の品格」

 最近、unizouはジニ係数中小企業診断士の資格講座で学んだのだが、世の中はジニ係数を持ち出して市場原理主義による「所得格差」や「地域格差」に関心が高まっている。
 また、最近のベストセラーは、市場原理主義と近代的合理精神を糾弾した藤原正彦お茶の水女子大学教授の著書「国家の品格」だという。
 読売新聞の2月8日(水)の夕刊トレンド館でも、「『国家の品格』快進撃の理由は?『論理より情緒に共感』」と取り上げているので、購入して読んでみることにした。
 unizouの感想はというと、「著者の言いたいことは個人的に同感であるが、それを押し付けることがいいのだろうか?」という気持が強い。また、「それほど声高に言わなければいけないほどの世の中になっているのだろうか?」とも感じた。
 未だに多くの日本人が、著者のいう「情緒」を持っていると思うし、「卑怯」に対する感覚も、未だに日本人の心の奥底に染み付いて離れていないものだと思う。
 「判官びいき」という言葉がイコール「卑怯」に対する日本人の心とは言えないかもしれないが、昨年放映されたNHK大河ドラマ義経」の視聴率が高かったのは、主役のタッキーこと滝沢秀明君の人気だけでなく「弱者」に対する日本人の気持が未だに変わっていない表れではないかという気がする。
 日本の戦後を見てみると、いつも、どんなときでも、「極端」に流れていかず、「情緒」で揺り戻しされ、落ち着くべきところ「中庸」に落ち着いていると感じている。
 極端な拝金主義がまかり通っているかというと、一部にはいるかもしれないが、それを横目に見て、「多少はあっても良いが、それだけで幸せかな?」と懐疑的に考えている人達の方が圧倒的に多いと思う。
 ハートビル法に違反した「東横イン」やマンション構造計算書偽装事件に絡む企業なども、儲け主義の典型だと思うが、今、日本人の多くの蔑視で企業の存続自体に支障をきたす事態となっている。
 また、著者の主張するところの「情緒」が日本人に広く見られるものだとしても、アメリカ人(アメリカ人という民族はいないが・・・)をはじめ他国で見られないかというと、個人をみれば必ずそういった「情緒」を持った人は他国においても大勢いるとおもう。
個別の内容でも、著者の主張で同感できない部分が大きく3つある。

  • 一つは、「徹底した実力主義も間違い」
  • 二つ目は、「21世紀は、ローカリズムの時代」
  • 三つ目は、「食糧自給再考」。

 一つ目の「徹底した実力主義」について「終身雇用や年功序列を基本としたシステムを支持している。」と著者は言っている。
 しかし、仕事だけが人間の生きる証ではないと思う。年下でもすぐれた人物がいるし、そういった人を認め尊敬することも「武士道」精神ではないかという気がしてならない。結局、「ポストありき」の考えや、「仕事のみが人生、人間性のすべて」と主張している気がしてならない。例えば、知り合いの公務員に聞いたのだが、年功序列が幅を聞かしている公務員の社会は、「年を重ねて上に立った人ほど何もせず、勉強もせずに、給料ばかりもらっている。」そうである。そして、尊敬もされていない。その道でたゆまぬ努力をして優れている人は、年齢に関係なく名誉と責任を与えられることが大事なのではないかと思う。もちろん、それは、仕事上だけの話である。日常生活は日常生活で、それぞれの人の良さがあるはずであり、尊敬の対象となりうることも事実である。
 二つ目の「21世紀は、ローカリズムの時代」について
 この意見には大賛成であるが、その場合、巷間言われている「地域格差」を容認することになる。これも、その地域に住む人の精神性の問題であり、市場原理主義や近代的合理主義のせいではないと思う。みな同じが良いと感じ実行したのは、地方の人達なのである。
 三つ目の「食糧自給再考」。
 「美しい田園こそは、わが国の誇る美しい情緒やそこから生まれた文化や伝統の源泉」と著者は言う。unizouも、確かに日本の田園は美しいと思うのだが、田園だけが美しいわけでもなく、できればもっと自然の姿に返したほうがいいと思っている。みんな、生活のために農業をしているのだ。それも、後継者もいないのに借金をしながら・・・。借金をしながら続けさせていくことは、誰かがその負担をすることになる。
 もし、食糧自給率の問題と一緒にするのであれば、そのことについて、大部分の国民のコンセンサスを得なければいけない。
 金持ちやお金のことを意識し過ぎるから、すべてが「所得格差」「地域格差」の話になってくる。
 外国人だから、日本人だからということでなく、人間は強欲で利己的になりがちである。
 それは、自分や自分の家族を守るためでもある。人間の強欲や利己的なところを過度にせずに、上手くコントロールする仕組みこそが、民主主義であり、資本主義経済だと思う。
 要は、システムを使う側の問題なのである。
 一人の人間としては、他人の生活を僻まず、羨まず、「武士は喰わねど高楊枝」の気概で生きることの方が大事なのではないかと思うが・・・。
 時間だけは万人に同じように与えられているので、それを有効に使って人生を味わいつつ・・・。