ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」

 日生劇場で現在上演中の東宝ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」を鑑賞した(http://www.toho.co.jp/stage/yane2005/welcome-j.html)。
 「中途半端だな。」鑑賞直後、隣りの席の学生とおぼしき男性がポツリとつぶやいた。
 当初なんてことを言うのだろうと思ったが、後になって、的を得ている一言だと思えた。 
 「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ユダヤ人一家の話、舞台は、帝政ロシアの時代の寒村アナテフカ、屋根の上で危なげにバランスを保ちながら曲を奏でるバイオリン弾きの登場で舞台は始まる。このバイオリン弾きは、村が厳しい現実から必死に伝統を守り続けているというその象徴でもある。
 貧しいユダヤ系ロシア人のテヴィエはユダヤの伝統を重んじ、生活の規範をユダヤ教の教えの通りに生きてきた。
 テビエには5人の娘がいたが、次々と伝統から外れた恋を、行き方を選び、確執の中で家を出ていく。
 おりしもロシア革命などの激動の時代の波が高波のように押し寄せ、テヴィエなどの一庶民の生活など強風に舞う木の葉のように吹き散らしていく。
 ついには、ユダヤ人の国外追放令により、テヴィエ一家も故国と思っていたロシアの地を異邦人として追われていく。そして一家は断腸の想いでふるさとを後に、遠く異国のアメリカへ渡ることを決意する。
 故郷を後に去りゆく一家のラストシーン、テヴィエの足取りは重く、荷車をひく腕の力もただ空しい。そのテヴィエの影であり心であった屋根の上のヴァイオリン弾きがそのあとをトボトボとついていく。
 欧米では、「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、まずはユダヤ人の物語として捉えられている。もちろん日本で上演しても、これはまぎれもなくユダヤ人の話なのだが、日本の「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、語られる内容の中から、ホームドラマとしての面が強調されている。
 だから勧善懲悪、円満解決するかのような結末を期待してしまうのだが、嫁いだ3人の娘にしろ、残されたテヴィエ夫婦と2人の娘達にしろ、将来に希望を見出せないまま、次なる試練に立ち向かうところで舞台は終る。ゆえに隣席の彼のような感想を抱くことになる。
 しかし、考えようによっては、このテヴィエの置かれている不安定な境遇は、長らく差別と迫害を受けてきたユダヤ人の真実の姿なのだ。
 ユダヤ人の故郷は、もちろん中東である。彼らの国家は、イエス・キリストが生まれる少し前に滅びてしまい、それ以降、彼らは流浪の民となってしまった。今なお、ユダヤ教という自らの民族宗教を唯一の拠り所として、世界各国に散らばって暮らしている。
 Unizouも、「屋根の上のヴァイオリン弾き」をきっかけに、今なお混乱続くユダヤイスラエルパレスチナのことをもう少し勉強してみようと思っている。