「右腕」と武士道の「押込」

 「中小企業経営」の中に、「右腕」という項目がある。
 右腕:企業経営上、代表者が最も頼りにしている人材。
 最近、ライブドア事件堀江容疑者の「右腕」の○○とよく耳にしていた。
 診断士の学習では、「右腕」のとして活躍する人材の存在が、メインバンクからの借入れの際に影響があったり、また、成長段階に応じて、企業規模が大きくなると、すべて経営者が行うわけにもいかず、経営者の指示によって行動する従業員、経営者が任せることができる従業員が必要となったりするという。
 「右腕」という言い方が、古めかしくて、なんとなく違和感があるが、実際は、中小企業の強みが、中小企業の特徴として、「オーナー経営者が多いことから、意思決定に対する制約が少なく、意思決定を大胆に、迅速に行うことができる。」ということを考慮すると、そんな言い方が一番ふさわしいのかもしれない。
 しかし、「右腕」が、堀江容疑者の言うことをそのまま受け入れて行うだけの「イエスマン」のようだと、ライブドア事件のようなことになってしまうのだろう。
 最近、企業の不祥事が続いているが、「ライブ事件同様」に経営者が利益の追求にばかりに躍起となって、コンプライアンスの面での検討がなおざりになってしまった結果だと思うが、「右腕」が、一言居士のように、利益追求にひた走る経営者を諌めることが、長い目で見れば、企業を大きく、そして継続させる近道のような気がしてならない
 武家社会でも、殿様の実権が強くて、志村けん演じる「馬鹿殿様」のような殿様であっても言うことをひたすら聞かないといけないような気がするが、実際はそうではないそうである。
 以前、産経新聞の特集で、笠谷和比古氏が「武士道と現代」というテーマで連載していた。
 その中で、「諫言」について、次のように述べている。

 「主君が間違った行動をとり、理不尽な命令を下そうとしている時、主君を諌め説得して、再考を促すように働きかけるのは臣下たるものの務めである。」

 そして、笠谷氏は、主君が諫言を受け付けなかった場合は、家臣はどのように振舞うべきかという点についても、次のように述べている。

 徳川の武家社会では、「押込」という慣行がある。それは、もともと刑罰の一種であった。家長が家の人間を懲戒する行為として広く行われており、放蕩息子などを懲らしめるために、家の一室に監禁するという形であったのだが、大名家の当主である藩主が放蕩であり、暴虐であった場合にも、この「押込」が発動された。
 「押込」は、決して謀叛、悪逆の行為ではなく、家臣の側の正当な行為として認知されていた。

 現在の、企業が、ステークホルダーにとって、公のものであるという考えれば、江戸時代に行われていたこのようなことが当然に行われるべきであり、「右腕」の存在自体もいかにあるべきかの参考になる気がしてならない。