完全競争市場と計画経済

 昨日のブログ「受講始め」の続き。
 情けないことに資料の出所を忘れてしまったので覚えている範囲だと、・・・最近読んだ新聞か雑誌に、中国の高官が、日本経済界の人物から「経営に当たっては、中長期の計画を立てて企業経営をしている。」と聞いて、「それでは、中国の計画経済と一緒ですね。」と答えたというようなことが載っていた。
 何だか、汚い言葉で言うと「**も味噌も一緒」の類・・・?
 資本主義社会における企業経営と社会主義における計画経済では、人間性を尊重するスタートラインが違い過ぎる。

社会主義は、生産と配分の手段・方法を、社会の成員全体で共有することによって社会を運営していく体制と、その体制をささえる人間観や世界観などを構想する思想。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 社会主義の思想は、もともとは「すべての人の幸福を願って」ということなのだろうが、十人十色で「甘いものの好きな人もいれば、辛い人の好きな人もいる。」ように人間の価値観の多様さが経済の前提なのだから、誰かが生産の配分と手段・方法を決め、共有できるものではないはずだと思う。
 そして、その誰かが、一番怪しい人物(官僚)になってしまうところが、社会主義の一番の弊害だと思う。
 昨日書いた「不完全競争」も、確かに資本主義社会における問題ではあるが、短期的なスパンでなく長期的なスパンで見れば、プライス・メイカーも必ず淘汰されていくような気もする。確かに一時的には、プライス・メイカーになれたとしても、それを維持していくことができる世の中かということになると甚だ疑問が残る。
 今日の日本テレビ真相報道 バンキシャ!で、そごう心斎橋店の福袋騒動記を特集していたが、福袋の売れ残りが結構あった。きっと、価格は下げないにしても、中身を良くしないと誰も見向きもしないのだろう。そういった意味では、価格を所与のものとして行動する経済主体のプライス・テイカーに企業も、消費者もなっているのだと思う。
 いずれにしろ、unizouにとって、資本主義社会で守ってもらいたいことは、誰にでも平等にチャンスがあるということだ。
 世の中が「貧富の格差が拡大している。」と危惧している人達も多いようだが、所詮、お金だけがすべてではないので、少ないお金でも幸福を見出している人もいることを考えれば、人間としての尊厳が守られるようにさえしてもらえればいいような気がするのは楽観的過ぎるだろうか・・・?
 倒産などで、金融機関やサラ金から借りた借金を苦に自殺してしまう人もいると聞くが、金融機関やサラ金などは商売でやっているのだから、「倒産しそうな企業に貸したあんたが悪い。」と考えて自殺する必要など全然ないと思うし、親戚、知人から借りたとしても、親戚・知人は帰ってこないと思って、貸すくらいの気がなければ・・・。
 もし、金融機関もサラ金も、そして親戚・知人も貸しさえしなければ、大事に至らないうちに商売をやめているのだろうから、再起も簡単だっただろうし・・・?
 竹中平蔵総務大臣郵政民営化担当)の著作「竹中教授のみんなの経済学」では、次のように言っている。

「もちろん、競争なのですから、勝つときもあれば負けるときもあるのは当然です。したがって、敗者が出ること自体は問題ではないのです。ただし、負けた場合に再チャレンジできるような社会でなければ、これは、人間にとって耐えられない社会になります。いくら、精神的にタフな人でも参ってしまうでしょう。そこで、敗者復活の仕組みが非常に重要になってきます。」

 「敗者復活戦は、人間の尊厳を守るために、是非、作ってもらいたい。」と、unizouは昨日の経済学の講義から引き続き、今日も「経済学」を出汁に世の中のことを考えた一日だった。