仏像にハマるvol.4

 unizou、晩秋の大和路を歩く。
 と聞こえはいいが、今回の奈良行きはかなりの強行軍だった。 
 22日に仕事終え一路奈良へ、23日に所用を済ませ、今朝、後ろ髪を引かれる想いで帰京し、出勤という慌しさ。
 唯一立ち寄れたお寺は、「秋篠寺」、近鉄大和西大寺駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、5〜6分くらいの「秋篠の里」にある。
 寺は、光仁天皇の勅願で宝亀7年(776)に創建された、奈良時代最後の官寺。
 1135年の兵火等で多くの伽藍を失い、現在の本堂(国宝)は、焼け残った講堂を鎌倉時代に修理したものであるそうだが、雑木林につつまれ、苔むした塔跡・礎石から往時を偲ぶ現在のたたずまいは、寺名にふさわしく清楚でやさしい。
 まず本堂。
 奈良のお寺らしく、どっしりとした安定感あるデザインに、壁の白と木のこげ茶のコントラストが鮮やかである。内陣に本尊の薬師三尊像(重文)、日光・月光菩薩立像、伎芸天立像(重文)など諸仏を安置する。
 そして、秋篠寺の目玉は、何と言っても「伎芸天立像」。
 伎芸天立像は大和路で、もっとも愛されている仏像のひとつだろう。
 頭部は天平時代の乾漆(かんしつ)造り、体は鎌倉時代の木造彩色。つまり首から上と下は時代も材質も作者も異なるという類のない仏さまだが、違和感はまったくなく、独特の魅力をたたえている。
 伎芸天像は中国では数多く造られたが、日本ではここ秋篠寺に唯一あるのみ。芸能・芸術の天女としてそのたおやかな姿は昔から多くの信仰を集めてきた。
 古来この仏さまに魅せられた文人は数多い。
 その一人が作家堀辰雄氏である。
 作品「大和路・信濃路」の「十月」という章にそれはある。

午後、秋篠寺にて
 いま、秋篠寺(あきしのでら)という寺の、秋草のなかに寐そべって、これを書いている。いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある伎芸天女(ぎげいてんにょ)の像をしみじみと見てきたばかりのところだ。このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。朱(あか)い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香(こう)にお灼(や)けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。
 此処はなかなかいい村だ。寺もいい。いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい。そうしてこんな何気ない御堂のなかに、ずっと昔から、こういう匂いの高い天女の像が身をひそませていてくだすったのかとおもうと、本当にありがたい。

 微笑みをたたえつつ今にも話し掛けてきそうな口元、ふくよかな頬、しなやかな腰つき、「東洋のミューズ」、まさにその通り、よく言い当てたものだ。
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(余談)
 礼宮さまは,平成2年のご結婚式後、陛下から「秋篠宮」の宮号を賜った。すると、妃殿下である「紀子さま」の横顔が、「伎芸天立像」に似ておられるという評判がたち、「秋篠寺」に観光バスなどで多くの人々が訪れたそうだ。
 今現在は静寂で感動を覚えるお寺に戻っているが。