テレビキャスターと国民

 最近、マンションの耐震強度の問題がひどく騒がれている。
 一昨日も、TBSテレビ筑紫哲也NEWS23多事争論で「夜警国家」と題して、筑紫キャスター私見を述べていた。
 いつも思うことだが、なぜ、多くのキャスター諸氏は国民を誘導するような言い方をするのだろうか?特に筑紫哲也氏は、その傾向が顕著だと思う。
 事実と予想される結果を伝えていくだけで、いいのではないか。判断するのは国民一人一人であり、結果は、多数決で決めることになっている。およそ馬鹿な結果が出たとしても、多くの国民の責任なのだから・・・。
 「夜警国家」論にしてもそうだ。一体全体、これまでの氏の主張とのつながりはどうなっているのだろうか?不思議でならない・・・。
 氏の主張を、TBSのホームページから引用する。

 近頃、「小さい政府」という事と「自己責任」というのはコインの裏表のようによく言われております。確かに、こんなに金食い虫でもうお金がないのに、大きな政府を効率の悪い政府を私たちが持ち続けるのは不可能であります。それに、なんでもお上お上と頼るのも良くないというのもはっきりしております。
 しかしながら、連日お伝えしておりますような欠陥マンションのようなそういう事件の時に、個人がマンションの製作工程というものをきちんとチェックして、そして自分の責任において間違いのないマンションを買うという事は不可能であります。
 つまり、そういう専門的な部分というものをきちんとするのは誰がやらなきゃいけないか。これは、私たちが税金を払っている政府の本来的な役目であります。何も政府が全部チェックしろということではありません。それで役人が増えるとういうことはよくありません けれども、少なくともその民間に委託しても、それがでたらめをやらないような法的な網をかぶせるとか監督をするというのは私たちの税金で賄われている国家の責任であります。
 政府が大きいか小さいかという事よりも、政府がきちんと機能することのほうが大事で「夜警国家」という言葉を書きましたが、最低限、我々をきちんと守るために税金を払っている国家というものがあると思います。

 こんなことは、誰でもわかっていることなのではないのかと、いぶかしい。
 警察、検察、税務署など、およそ、取り締まりを行う機関の人たちは、“全部”が、とは言わないまでも、多くの職員が自己犠牲を払ってその任務を全うしていると聞いている。
 効率化やスリム化を図る必要もあるだろうが、今の制度の中で犠牲になっているのは、現場にいる人たちなのだろう。
 今回の問題も然りである。建築課の職員が少ないのである。環境問題(産業廃棄物の不法投棄)だって、環境課の職員が少ないのだ。
 少ない人間でやるとしたら、どうするか。規制を強めるしかない。法律を作って、一度でも不法なことをした業者や個人や、そういったことに関係した人間は二度と営業させないことである。しかし、そんなことが出来るのだろうか?
 自由が優先されすぎて、そんなことはできないだろう。
 「コストをかけるな!」、「自由は守れ!」、「人は削減しろ!」で、一体全体何をさせるつもりなのか、ほんとにわからない。
 そういう意見の先頭に立っているのが、多くのキャスター諸氏ではないのかと思えるのは、unizouだけだろうか。
 コストをかけないためには、国民が協力することが一番なのである。厳しい法律を作って、ペナルティーを犯した人間は、その自由を剥奪することが一番なのである。
 しかし、実際は中途半端な法律ばかりで、取り締まる側に労力と費用をかけさせるばかり・・・。
 8月23日のブログにも書いた清家篤慶大教授の読売新聞への投稿が、筑紫キャスターの主張よりずっと客観的で的を得ていると思うので再度紹介しよう。

【公務員像の議論必要】
 公務員の数をただ減らすだけでは、よほど生産性が高くならない限り、サービスの水準も低下する。公務員の賃金を下げれば、これまで通りの人材をひきつけることは困難になる。
(中略)
 しかし、国民がもし、人数は減らしても前と同じサービスの水準が維持され、賃金を下げても、同じように優秀な人材が、同じように一生懸命仕事をしてくれると考えるならば、それは少し虫が良すぎると言わざるを得ない。
(中略)
 負担と給付のバランスをどうするかは、何も年金だけの問題ではない。公務員にかかわる負担と、公務員にしてもらいたいサービスの水準のバランスをどうするかは、国民、住民の選択に委ねられている。その意味で公務員制度改革は、公務員自身の問題でもあるが、それ以上に、第一義的には、公務員の雇い主である国民の問題なのである。
【17.8.18(木)読売新聞 11面「論点」抜粋】

 国民に負担と給付のかかわりをわかりやすく説明することまでが、報道する人たちの責任で、選択は国民がするべきことである。キャスター諸氏が、その結果について、「なんて馬鹿な選択だ。」と感じたとしても、所詮、その判断結果も“馬鹿”な国民が負わなければいけないのだと思う。
 だから、あまり意図的な誘導は、好ましいとは思えない。