大失恋と処世術

 今日、入社同期のG君が、unizouに用事があって来た。
 彼は、支社内の人事担当として研修関係全般を担当しているのだが、育児をしている社員のフォローアップも担当することになり、その件で意見を求めにきたのだ。
 一通り用件を終えたところで、異常行動をとる職場不適応な社員の多さに話が及んだ。
 unizouの上司も話しに加わり、「採用時にどうしてそういった資質がわからないのか?」とG君に迫って言った。
 G君は、「15分程度の面接では、そういうことをわかろうとするのは無理がありますよ。」と答えていたが、最近は、特に、新入社員に職場への適応が出来ない人が多いという。
 一時期の大量採用時代や好景気の時期と違って、unizouの会社のようなところでさえ入社希望者が多いのにもかかわらず少人数しか採用しないことから、新入社員は、非常に優秀な人間が多くなっているという。それも、国公立大学や一流私立大学を出て、ペーパー試験では、かなりの点数を上げている人間だという。
 そういった彼らが、なぜ、職場不適応になっていくのだろう?

 unizouは、今までの経験でこう考えている。
 ペーパーに向かって解く試験問題のために勉強している人間の多くは、ペーパー上でしか問題解決が出来ないのではないか?
 本当は、ペーパーにある問題は、日常の問題解決のために研究され、蓄積されていることなのであるが、実際は問題を解くために問題が作られ、試験という問題を解くために勉強しているのではないか?・・・と。
 だから、現実性がない勉強になってしまうのだろう。日常の問題を解決するためには、知識だけでなく、交渉力や説得力などの対人適応力が必要なのであるが、それを伴わない知識の詰め込みだけの勉強をしているのではないのだろうか。
 今まで経験している部署でもそういう人間がいた。人と顔を合わせて話が出来ないのである。いろいろな知識を持ち、すばらしい結論を持っていながら、相手を説得できない。
 また、実際の問題は、ペーパー試験のように単純な問題ばかりではない。複数の問題が絡み合い、人それぞれが違うファジーどころではない人間の感情というものも入ってくる。

 じゃ、どうしたらいいのだろうか?
 unizouの一番良い方策は?
 それは、大失恋を経験することだと思う。
 中学生頃まで、unizouも世界は自分を中心に回っているのではないかと考えていた節があった。
 ある時、一目ぼれした人がいて告白をした。しかし、結果は無残にも撃破された。
 努力すれば相手の気持ちを変えられるんじゃないかと真剣に考えていたが、無理だった。
 世の中、どうしようも出来ないことがあることを知った。試験の問題のように単純じゃなかった。自分だけのことであれば、努力すれば叶うこともあるだろうに・・・。

 世の中、どうしようも出来ないこともあることを知って最善を尽くす。
 想像力を働かせて、問題解決に当たっていく。それが、unizouの処世術かな・・・?