なじり倒す上司と部下に何も言えない上司

 昨日、パワハラのことを書いた。
 管理職になるべきでない人が、現場の実績と上司の受け(といっても、才能を評価されたわけではない。)から、管理職になっているケースが結構ある。
 昨日書いた人物のように、人格形成もできていないのに、管理職になったらパワハラで部下を取り仕切る人もいる。

 ≪なじり倒す上司≫は組織に三重苦を与える。
 まず、部下のやる気と能力を枯らす。次にいつもカリカリしているために自分の実力も十分に発揮できなくなる。最後に、部門全体の雰囲気を非常に悪くする。良いところは何もない。
[本田有明著「上司の風上に置けない人々」中経出版刊]

 逆に、部下の顔色ばかり伺いなめられてしまっている人もいる。

 これにもいくつかのタイプがある。代表的なのは、よくいうところの“いい人”だ。
 ①争いを好まず、②自己主張をしない、③チームの和を乱すことを恐れ、④人の心を和ませようと配慮する。一つ一つの要素を見れば、決して悪いことではない。むしろ人格者の条件ということもできる。
 欠けているのは次のような認識だ。
 争いをしてでも正しいと思う意見は通さなくてはならない。
 和を乱してでも注意・叱責しなければならない局面がある。
 基本的なレベルの指導では相手の心を傷つけることもある。
     (中略)
 上司としては不適格でも、一匹狼として成功する道がある。
 ビジネスマンには、大別して三つの選択肢が考えられる。
 ①起業家として事業を立ち上げる
 ②管理職として部下を率いて働く
 ③専門職として「一芸」に秀でる
 起業家も管理職も、人を統率してパワーを引き出す能力が不可欠だが、専門職はそうではない。ある分野で他者の追随を許さないほど高度な技術・能力を具えていれば、職場内の一匹狼としてやっていくことができる。
[本田有明著「上司の風上に置けない人々」中経出版刊]

 江戸時代に責任を取るための方法だった“切腹”という非人道的な制度がなくなったのは良いが、部下に責任を押し付けて責任を取らないどうしようもない上司ばかり増えた。
 100人いれば100人の型の上司がいても不思議ではないが、上司としての基本がなっていないケースがいかに多いことか・・・。

 確かに社会全体が役職の上の人が偉いという風潮はあるが、管理職になるのが人生のすべてでもないのに、ポストばかり要求する労働組合も悪い。
 現場の仕事に向いている人もいれば、現場の人たちを取り仕切るのが上手な人もいる。それぞれが、お互いに必要不可欠なのだ。管理職になることに向いていない(努力してもできない)のに、管理職になった人も不幸なのだ。
 職場のポストが人生のすべてではないだろう。もっと、余裕を持って生きていきたいものだ。