中小企業な農業

 unizouが住んでいる町は都心から20分程度のところにあり、住まいは駅から自転車で10〜15分位であるが、いまだに、通いなれた道には農地が虫食い葉のように点在している。
 その虫食い葉のような農地を通り過ぎるたびに、先祖代々の土地大事に、土地のみを信じて生きて、産業である本来の農業とは無縁な人たちの顔が浮かんでくる。
 一方、そういった人たちと一緒になって、農業も産業であり他の産業とは変わりないはずなのに、ノスタルジー、自然保護といった話を持ち出して、近郊農業、いや、市街地農業を保護しようとする自然保護者の人たちがいる。

 一体全体、全然目的が違うのに一緒になる理由はなんだろう。
 日本では、目的が違うのに、「何でもかんでも一緒くた」にしようとするから、すべてが中途半端になってしまうことがいかに多いことか。

 unizouが考える簡単な解決法はこうだ。
 まず、市街地農家の人たちは、生産緑地 などという姑息な手段を考えずに、今の市街地農地を売って、代替の土地を郊外に求める。
 効率性のみを優先させるつもりはないが、ごみが平気で捨てられているようなところではなく、広大で清潔な場所で農業を行うようにする。
 きっと、売った値段では買いきれないような農地が手に入り、本気で農業をする人たちには夢の大地になる。
 そうやって先祖代々の土地を処分した勇気ある人たちは、税制面で多少優遇してあげることにする。
 さて、売られた土地をどうするか。自然保護者にして見れば、その土地すべて、宅地にされていくことは許しがたいことだろう。
 unizouにも、保水効果で水害を防ぐことになったり、生活する場として緑地が必要であったりということは言うまでもない。したがって、そういった土地は、緑地率により一定割合を緑地とするよう条例により決める。
 また、地方公共団体が買い取り、公園にする。公園は、できる限り後で税金を負担しないような設計にする。
 未来の人たちのために、違法な利用の仕方は、厳重に取り締まる。

 そして、中小企業な農業を営む人たちを応援していく。
 本気で農業をやっている人たちであれば、個性のある作物を作って、本物の魅力のある産業になっていく。
 おととい、トルストイの民話を紹介した。
 同じように岩波文庫から出ているトルストイの民話集「イワンのばかほか八篇」収録されている「人はどれほどの土地がいるか」を紹介したい。
 土地に執着していたパホームは、あるとき歩いただけの土地を千ルーブリで買えるという村に行く。朝出かけて日暮れまでに出発点に戻るのだが、歩き回った土地すべてが手に入るという。そこで、パホームは、できる限りたくさんの土地が欲しいと、日暮れまでかけ続けていく。そして、日暮れ近くになり、急いで出発点に戻るが、彼は、口から血を流し息絶えてしまう。
 そして、村人が、彼のために墓穴を掘ってあげるという話。
 結局最後に必要なのは、墓穴の大きさの土地・・・。