お母さんを選ぶ赤ちゃん

 読売新聞の「くらし」の紙面のファンだ。
 同僚や友人にそう言うと「私も!」という人が結構多い。中には、「人生案内」読みたさに読売を購読していると言う者もいる。かく言うunizouも「人生案内」を毎朝必ず読む。相談内容は、その時代の世相を表している。最近よく目にするのは、介護問題、パラサイトシングル、メンタルヘルスドメスティックバイオレンスといったところ。嫁姑問題は時代を越えたテーマで、常にトップランキングだ。
 今朝気になったのは、コラム「よむサラダ」(現在の担当者は作家の横森里香さん)で取り上げていた本「お母さんを選ぶ赤ちゃん(ジョナサン・ケイナー著)」だ。著者は、イギリスのカリスマ占星術師で、本は、彼のウェブサイトに寄せられた、お母さんたちの体験談をもとにして作られた。子供の魂は、あらかじめお母さんを選んでこの世に下りてくるという説があり、それを実証するかのように、どうして今のお母さんを選んで来たのか、と聞くと語しゃべり始めた幼児の話がたくさん載っているのだという。
 このコラムを読んで学生の頃のことをふと思い出したのだ。
 その頃unizouは、学生時代に陥りがちなのモラトリアム状態(肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間。また、そこにとどまっている心理状態。)の真っ只中にあった。自分は何をしたらいいのか、どうしたいのか、自分は何者のなのかというようなことをあまりある時間の中で、悶々と考えこむ日々。
 そしてつき詰めていくと、自分の問題としてだけでなく、人は何のために生きるのか、そもそも人はどうし何のために産まれてくるのか…みたいなテーマに話が広がっていき、仲間達との答えのない議論が繰り返されたりするのだ。
 友人のひとりは、「ヒトが生きる究極の目的は、『種の保存』」だ。」と言い切る。そして「ヒトは賢く知恵があるから、あからさまに生きる目的は『種の保存』だとは言わない。出生したいか、したくないか、そこは自分の意思は及んでいない。一方的にこの世に産みだされてしまっているにもかかわらず、ヒトは事後的に生きる目的、例えば、『幸せになるため』、『生きる喜びを感じるため』、『社会に貢献するため』といった目的を探すのだ。だからその意味でヒトは生かされてるんだ。」と力説する。 
 彼は非常にドライであるが、「ヒトは生かされてる。」という視点を与えてくれた人物だ。
 一方、別の友人は、当時既に「お母さんを選ぶ赤ちゃん」の話を知っていて、「ヒトは、能動的に生まれたいという意思をもってこの世に存在する。」と語った。彼女が読んだ「前世を記憶するこどもたち」という本で書かれていた体験談のひとつはこうだ。
 ある幼児に生まれて来る前のことを母親が尋ねた。すると、その子は、生まれる前にミツバチの巣のようにたくさん窓がある白い部屋にいて、誰かにどの窓から外にでたいか選びなさいと言われたので、ある窓(入り口)を選び、そこから外へ出ようとすると、長いチューブに繋がっていて、そのチューブの出口がお母さんのところだった(産まれた)と語ったそうだ。
 聞いてハッとした。この体験談に照らすと、子が自分の意思でたくさんの窓から行き場所を選んでこの世に出たことになる。能動的に産まれてきたとも言えるのだ。
 日頃、不満のはけ口に「何でこの親のところにうまれてきちゃったんだろう?」と言ってる自分に反省した。もしかしたら、自ら進んで今の両親のもとにお世話になりに産まれてきたかも知れないのだから。
 そう、今朝思い出したのは、まさにこのときの気持ちだ。自分の意思で、この時代、この場所を選んで生きていると思うとなんだかとても不思議だ。けど、「生かされてる」というより「生きたい」というちょっと前向きな気持ちになるな。