「化石の彼女」と「アージリスの未成熟=成熟」理論

 unizouの職場に、今では、化石としか思えないような貴重な女の人がいる。
 化石って・・・化け物のような人・・・?
 いや、そういう意味ではありません。
 きれいで、スタイルもいい、見かけはモデルのような女の人ですが、今の現代的な活発で、やかましい?人ではなく、おしとやかで、「女らしい人」です。

 「化石」の彼女の個性でもあり、まだ、入社して間もないと言うこともあるが、周りのことを非常に気遣うので、悪くもないのに「すみません。」を連発し、間違ってもいないのに、周りの様子を見ながら、おどおどしていることが多い。
 仕事は、しっかりやっているし、問題になることはない。「あまり、気遣わなくてもいいよ。」「迷惑なことは何もしていないよ。」「君より、迷惑な人はいても、それに気づかなくて平気な顔をしている人はたくさんいるよ。」って言いたくなる。
 ただ、今言ったような性格なので、人を押しのけて自分の意見を通そうとしたり、何かをやろうとしたりすることはない。

 社会人としては、そういう人は失格でしょうか?
 unizouが管理者なら、今の「化石」の彼女らしさを失わせずに、非常に面白い存在として、どんな力を発揮させられるか工夫してみたいと思うが・・・。

 「経営理論」の中の「モチベーション理論」で、「個人の人格は、未成熟から成熟へ向かおうとする欲求によって変化する。」という「アージリスの未成熟=成熟」理論を勉強した。
 「化石」の彼女も、そういった欲求を持っていると思う。しかし、表現の仕方は人それぞれで、きっと、そう思っていても表面的には変わらない場合もあるのだと思う。
 表面的な部分で決め付けずに、隠れている能力を引き出してあげることが重要で、「みんな同じ能力」を持っている必要はないのだから。
 各自が持っている同じではない能力を引き出すことで、その職場は活性化され、多面的な視野を持った柔軟な組織となり、相乗的(シナジー)な効果が生まれていく。

 「化石」の彼女には、「女らしさ」を失わずに、彼女が持っている能力を充分に発揮して、仕事を楽しんでやってもらいたいと思う。

 この「女らしい」とか、「男らしい」とかいう言葉は、非常に嫌われているようで、あまり不用意に使うと「『・・・らしい』って、なんですか?その基準は、なんですか?同じじゃないといけないんですか?」ってすごい形相で言われ、痛い思いをすることがある。
 でも、unizouは、あまりこだわる必要はないと思う。細木数子さんもあるテレビ番組で言っていたが、所詮、男性と女性は性差があり、それをベースにして社会はあるのだから。

 ちなみに、「化石」の彼女も「華道サークル」の一員で、その生けた花は、芯が一本しっかり通った見事な出来栄えで、凛とした雰囲気を醸し出している。