映画「マダガスカル」

 アニメ映画「マダガスカル」を観た。
ニューヨークのセントラルパーク動物園に住むライオンのアレックス、シマウマのマーティ、カバのグロリア、キリンのメルマンは仲良し4頭組。ある晩、野生の生活に憧れるあまりマーティが動物園を飛び出す。そんな彼を探しに夜のマンハッタンを徘徊したアレックスたちは、危険動物とみなされ、4頭共にアフリカ送りに。ところが、途中アクシデントに遭い4頭はマダガスカル島に漂着した。
 個性的な4頭の動物たちがくりひろげる愉快な物語はたくさんのユーモアがつまっていたが、それだけではない奥深さがある。
 ニューヨークの動物園で何不自由なく暮らしてきた彼らが野生の世界に放り込まれたら何が起こるのか。特に野生に目覚めていくアレックスとマーティとの関係。そしてそのことに葛藤し、苦悩するアレックスの姿が丁寧に描き出されたことによって、さらに物語が魅力的に仕上がっていた。「種類や習性が違っても堅い友情で結ばれている」というテーマは国際化が進む人間社会へ向けての呼びかけと言える映画だった。
 ふと組織論で学んだ、「モチベーション理論」を思い出した。モチベーションとは、何かを欲求して動かす(される)ことで、目標(ターゲット)を認識し、それを獲得し実現するために、方向づけたり行動したりすることである。その理論の一つ「マズローの欲求5段階説」は、人が何によって動機づけれられるかという「動機づけの内容」に立脚する。
 欲求の段階は、第1段階の生存の欲求(食欲、睡眠、性欲)から、安全の欲求(存在、生活上の安全、安定)、帰属の欲求(集団への帰属、他人との良好な関係)、尊重(尊敬)の欲求(仕事でも遊びでも周囲から認められたい)を経て、第5段階である自己実現の欲求(自己表現、能力発揮、創造的活動)に区分される。
 欲求は、人間の存在にとってより本源的な第1段階から始まり、それが満たされると、より高次元の段階の欲求に移行し、この過程は不可逆的とされる。
 前述のライオンのアレックス、ニューヨークの動物園にいたときは、何不自由なく暮らしていたし、何より動物園一の人気者だった。アレックス自身も自分の人気を誇っていて、観客にいかに強く、格好良く自分をみせるか、日々研究している姿が描き出されていた。まさに第5段階にあったようなものだ。
 しかし、ひとたびマダガスカル島に身を置くようになると、まず、食べること、次に安全に暮らすこと、そして群れ(仲間)に属すこと、これだけに気を配って一日が終わってしまう。まさに第3段階までで一日、一生が終わってしまうのだ。まさにこれが野生の動物たちの生活と言えよう。
 人間も動物も生まれた途端死へ向かう。そういう意味で人間は長い人生を生かされているとも言える。だから時に人間は苦しい。でも人間には知恵がある。そこで「マズロー五段階欲求説」。野性動物なら三段階までで必死、人生終わっちゃう。人間そうはいかない。賢いゆえいかに生きるか、どう生きるか、自分を動機づけて生きているような気がする。