リバーダンス

 今日、ある高校の文化祭で行われた吹奏楽部の“ライブ喫茶”に足を運んだ。
 3年生は8月初めに行われた全国吹奏楽部コンクール(9月開催)の予選に敗れて引退し、“ライブ喫茶”は1年生と2年生を中心に行われる。
 聞くところによると、吹奏楽部の70〜80名の部員は、必ずしも中学生の時に吹奏楽部に入っていたというわけでなく、楽器を初めて手にした子も多いと言う。
 だから、1年生にとっては、3年生が抜け本格的なデビュー公演となる。
 これが、素人でも分かるくらい下手である。楽器ごとのアンサンブルをするため、特に一人ひとりの力量が良く分かる。
 でも、初めて楽器を手にしてから約5ヶ月であることを考えると、ここまでになるのかという不思議な感動を覚える。そして、2年生の演奏を聴くと、なおさらその気持ちが強くなる。この1年生が来年には、きっと、今の2年生のような演奏ができるようになるのだから。
 技能をすぐに習得してしまう人もいるだろうが、時間をかけて根気強くやれば何事も習得できる能力が人間にはあるのだと、つくづく感心してしまう。

 吹奏楽部の演奏を聴くと、オーケストラの演奏にはない感動をいつも覚える。
 何が違うのか?
 きっと、演奏する曲のせいだと思う。
 静かな曲もにぎやかな曲も、打楽器の小気味よさ、管楽器の高らかな響きに何か勇気を与えられることが多い。
 しばらく前から縁あって、この高校の演奏を聴いてきたが、「リバーダンス」、「七夕」、「Eastcoast Pictures」など、今まで聴いたことが無かった曲に触れさせてもらった。運転をしているときに、たまに聞かせてもらっている。
 もちろん、ホールで聴くほうがずっといい。

 吹奏楽を聴いているとき、もうひとつ必ず思うことがある。吹奏楽の演奏は、社会の縮図なのではないかと・・・。一人ひとりが違うパーツを演じているが、誰一人欠けることはできない重要な役目をそれぞれが担っている。
 今の社会では、自分は何も役に立っていないと思う人が多くなっている気がする。誰かに求められていないと、自分の存在に意味を持たないと感じているのだろうか。
 でも、きっと、存在する意味が無いことはないのだと、いつも、吹奏楽部の演奏を聴きながら思う。

 やったことはないが、自分も楽器を手にして、下手でもいいから多くの人と一緒にいつか演奏してみたいと思う。