生きている学問

 今から4年ほど前、学生の時分以来、真剣に会計学を学んだ。そのとき、感じたことは、「自分の知ってる会計学と違う!」ということだった。私が最初に学んだころの会計学といえば、バリバリの取得原価主義会計であったし、財務諸表は法人格ごとに作成される個別財務諸表がメインであった。
 しかし、久しぶりに学んだ会計学では、「時価評価」という言葉が飛び交い、一部の金融資産及び負債、年金資産などでは、正規の手続きとして時価評価が認められていたし、財務諸表についても、それまで、個別財務諸表の副次的な情報として位置付けられていた「連結財務諸表」が、「証券取引法」上では主従を逆転していた。
 まるで、新しい学問を学ぶかのようであった。
 そして、今また学生の時分以来、真剣に経営学(試験科目的には「企業経営論」)を学んでいる。そして、「既に自分の知っている経営学と違う!」のだ。
 私の学んだ経営学は、経営理論は、大規模企業の効率的運営に寄与することを第一の目標としていた。すなわち、いかにして「ヒト、モノ、カネ」といった経営資源を「効率的に」運用するかに関心が払われてきた。しかし、先日学んだ経営資源には、「ヒト、モノ、カネ」に当然のごとく「情報」が加わっていた。
 また、国際経営と言えば、その研究対象は、子会社等の海外進出や現地での合弁企業の設立等によって国際化した企業である「多国籍企業」であった、今やその研究対象は、多国籍を超えた地球規模の企業であるグローバル企業となっている。
 さらに言えば、経営学はもともと企業経営にかかわる経済的・人間的・技術的側面を研究対象とする学問であったが、今日の経営学の対象は企業にとどまらず、あらゆる組織に及んでいる。地方自治体では、今では市場原理を導入し、コスト意識の醸成、サービスの向上、公会計へ外部会計監査を導入など組織の活性化を図ろうとしている。大学などの教育機関も、少子化による学生数の減少や、倒産の危機に対して積極的に経営革新に取り組んでいる。NPONGOなどの非営利組織もいまや経営学の対象である。
 小学生の時に学んだ算数、三角形の面積を求める公式、教科書からは消えてしまったが、台形の面積の公式は今も変わらない。
 しかし、会計学経営学に代表される社会科学は、法や国家、政治、経済などの社会的諸事象を科学的方法による観察・分析・考察を基にして、客観的法則性を把握し、各分野ごとの系統的認識を作り上げた学問分野である。社会現象を研究の対象とするがゆえ、時代が変わり、社会・環境が進化するとなれば、おのずと学問それ自体が変わってくる。
 そんなことを感じながら、変わったところには「目からウロコ」、変わっていないところにはちょっとの安堵感を覚えつつ、テキストに向かっている。