Challenge the いけばな!

 社内で週1日、昼休みに開かれる華道サークルに参加している。流派は草月流、まだ駆け出しも駆け出し。何でも、草月では、いけばなの基本を「花型法」と呼ぶシステムで学ぶそうで、3本の主要な枝(主枝)を単純な法則で変化させながら、いけばなの多様なかたちを作っていくという。

 今学んでいるのは、「基本立真型」、いけばなは、高さ、幅、奥行きで成り立っていて、これを最も簡潔に表現するには、前述の主枝=3本の枝で足りるんだそうだ。3本のうち、1番長くて大事な役割をする枝を「真(しん)」、その次に長いのを「副(そえ)」、短くてもいけばなに欠くことができない枝を「控(ひかえ)」と呼んでいる。そういえば、先日あるテレビ番組で、細木数子さんが若い女性たちを相手に花のいけ方を教えていたが、その際、「真・副・控」と説明していたな。更にこの主枝より短く、主枝の働きを助ける枝に「従枝」があり、これらの枝たちを角度や方向を変えていけたものが、「The いけばな」なのだ。何人かの生徒で同じ花材を使っても、いけ手によって全く違う空間に仕上がるのが毎回とても面白い。

 と言いつつも、このたった3本の枝を決めるのが、すこぶる難しいのだ。約3〜4種類×3本の枝もの、草ものから、「真・副・控」や「従枝」を選び出す作業だけで、数分間は固まっている。同じ種類の花でも、大きさ、枝振り、葉の付き方や枝・茎のしなり方が全然違うため、何をどこに使うか迷うのだ。プロなら、「花に(ここにいけてくれ!と)呼ばれるままにいける。」と言ったところだろうけど。

 「適材適所」とはまさにそれをいい当てた言葉で、ひとくくりに「バラ」や「トルコキキョウ」と言っても、1本1本に差異(個性)があり、そういった素材を、いけ手が、それぞれに自分の感性に従って、しかるべき場所にいけていくわけだが、同じ名前の花でいけても、更にそのひとつひとつが完成作品ではあっても、同じかたちにはけっして仕上がらない、それがいけばなである。

 このことは、企業内における人材登用(人事)にも通じる面がある。人は、そもそも多面的で複雑であり、他者からの見た目(評価)も千差万別である。企業にあっては、そんな「人」という素材を、これまた「人」が配置し登用していかなければならない。日本人は、まだまだ義理や人情、個人よりも集団主義といった感情に支配されている面が多く、人による人の客観的評価が未成熟であると言える。その一方で、「年功序列」、「終身雇用」は確実に崩れつつあり、将来の自分の姿を、5年先輩・10年先輩の歩んでいた道をなぞればいいという時代でもない。  
 そこで大事なことは、医学博士の川村則行先生の言葉を借りると、いつも個の自分として、「主体性」・「自立性」をもち、「現実検討能力」を身につけておくことだそうだ。
 前者の「主体性」とは、その通り「やりたいことがある」ことをいい、しかも「あれをしたい。」という気持ちがはっきりしていて能動的であることが大事なんだそうだ。そして、これが単なる自己主張で終わらないよう、他人をも自分と同様に主体性をもった存在として認めることができること、自分にもやりたいことがあり、他人にもやりたいことがあるという事実を尊重できることが大切である(「自立性」)。
 後者の「現実検討能力」とは、「今ある状況を検討する力」をいい、自分の能力や周りの状況など、諸々の条件を考えて、何かことにあたる際に「実現性はどの程度あるか」、「自分が本当にやるべきことか」、「どうしたらうまくいくようになるか」と自問自答し、知恵を出し、対処していく力である。
 長く仕事をしていると、必ずしも自分にとって「適材適所」と思えないこともある。企業にあっては、その部署に「適材」か否かは、他者が決めることであって、自分ではどうしようもできないことだ。しかし、与えられた場所を「適所」としていくこと、「適所」に変えていくことは、自分の気持ち次第でいくらでもできることなのかもしれない。

【参考文献】1 財団法人草月会著 「草月のいけばな1」 草月文化事業株式会社
【参考文献】2 川村則行著 「本当に強い人、強そうで弱い人」 株式会社飛鳥新社