人生の午後

 人生の午後。心理学者のC.G.ユングは人生の後半期をそう表現したそうだ。
 しかし、この「人生の午後」という意味は、太陽が沈むように下降線をたどる一方という印象ではなく、人生の午前に劣らず意味深いということなのだそうだ。
 この事実、最近、unizou自身が実感している。
 勤め始めてからずいぶん経って、収入もポストもそれなりに手に入れた。
 特に何も望まなければ、このまま定年まで毎日を過ごすこともできなくはない。
 ところが、最近そんな風に思わない自分がいる。
 とりあえずがむしゃらにやらなければいけない青年期を過ぎて、自分を見つめることができるようになったのかもしれない。
 最初に書いたC.G.ユングの「人生の午後」のことは、KAWADE夢新書「頭がいい人の45歳からの習慣」【小泉十三著】のプロローグにあるので紹介したい。

 まず私たちは、夜明けとともにこの世に生を受ける。多感な青春期を送り、社会に出る20歳前後が、午前八時ごろか。仕事を覚え、結婚して家庭をもち、仕事に多大なエネルギーを注ぐようになる30代は、午前10時ということだろう。
 やがて、会社でも然るべきポストに就き、世間からも立派な大人と見られるようになるのが40歳前後。これが正午である。ここから5年間は、いわゆる働き盛り。まさに人生の最盛期であり、このとき太陽は、公私ともに充実した男たちの頭上を照らすように燦燦と輝いている。
 しかし、45歳を過ぎると、太陽はじょじょに傾き始める。すなわち、「人生の午後」の始まりである。やがて定年を迎え、老年という人生の黄昏時がやってくる。往時茫々。そして、日没とともに私たちの人生の幕が降ろされる・・・・・。
(中略)
 「人生の意味は青春期の拡張期のみに尽きると考えたり、たとえば女性というものは月経閉止で『片附いて』しまうなどと考えたりするのは大きな間違いである。人生の午後は、人生の午前に劣らず意味深い。ただ、人生の午後の意味と意図とは、人生の午前のそれとは全く異なるものなのである」(高橋義孝訳『無意識の心理』人文書院
 午前中の太陽の光と午後の太陽の光では、日差しの強さや明るさ、影のでき方などが違うように、人生の午前と午後では、その意味も目的も違うということである。
 たとえば、人生の午前では、子どもを育てたり、カネを儲けたり、社会的地位を確立することがその目的(ユングは「自然目的」といっている)になるが、人生の午後になると、その目的は「文化目的」になるという。
 「文化目的」とは、カネや名誉といった世俗的な目的ではなく、ひと言でいえば、人間としての自分を問いなおし、その「質」を高めることだと私は思う。

 これまで、無我夢中で走り続けてきた。そのほとんどが自分中心のことだったように思う。
 でも、誰かのために役に立てること、そんなことができるなら、自分の持っている能力、もちろん気づいてない能力までも総動員して役に立てることができるなら、本当に嬉しいと思っている。
 中小企業診断士を目指しているのも、収入ややりがいが先ではなく、誰かの役に立てればということ。やりがいも収入もその結果として得られると感じているのである。
 誤解しないでいただきたいのは、unizouが45歳を過ぎたからこういうことを考えているのでなく、年齢不詳のunizouにとっても、質的に自分を高めたいという欲求が強くなってきていることなので、あしからず・・・。