ゆでがえる

 9月7日3時。外は、今まさに台風が直撃している状況なのか、激しい雨と風の音がすごい。
 「毎日こんなに早く起きて、一体なんだろう」と思わないでもないが、診断士の勉強や仕事のこと、やりたいことや準備したいことがたくさんあるので、それほど苦にならない。ただ、たまに「読みたいと思って積み上げている本を一日集中して読めたらいいな」と思うことはある。しかし。これも、その気になればできることなのかもしれない。
 「その気になればできること」に関して、昨日、後輩と郡山に出張し、お昼にわが会社の話になったときに出たことが、人の生き方とは自分次第だと改めて考えさせられた。
 彼の配偶者も同じ会社に勤めているのだが、その上司のことを愚痴っているということだった。
 「妻が、上司のことを『忙しい、忙しいと言って、部下のことを何も知らないし、それだけで済まず仕事の内容や進捗状況も把握していない』とよく言っていますよ」と言う。
 確かに安定度のある会社なので、会社に入ってから、「昔取った杵柄」で勝負している人も結構いる。
 診断士の資格を取るために資格の学校へ通ったとき、生活のためも含めて、年老いてからも勉強している人が世の中にたくさんいることを知って、「診断士の資格を取るために一生懸命勉強しているそんな人たちのつめの垢を、わが社員に飲んでもらいたいな」と思うことも多い。
 もうずいぶん以前に紹介した中島孝志さんの著作【「問題解決が」できる人できない人】(三笠書房刊)の中に、次のようなことが紹介されている。

 ミシガン大学が以前、「ゆでガエル」の実験をしたことがある。カエルを二匹用意して、一匹はいきなり湯につけるのである。すると驚いてさっと逃げ出す。ところが、もう一匹は水の状態においてから下からアルコールランプでだんだん温めていく。すると、このカエルは変化に気がつかないために逃げ出せず、そのままゆで上がってしまうというわけだ。

 私たちは、じぶんのまわりが変化しているのに気づかず、自分だけ昔のままでいることが多いか。
 ゆであがったしまったカエルのように死んでしまえば、「それはそれで自業自得か」ともいえるが、 迷惑を受けるのは周りの人間である。そして、さらに悪いことには、後々まで同じような細胞を持った人を増殖させるといったことになる。
 「ゆでガエルになるかどうか」は自分次第である。ゆでガエルのような自分であれば、死することはやぶさかでないが、後輩たちに迷惑をかけるのだけは是非避けたいと思っている。