僕らの時代 尊敬の気持を持って、自立した立場で尊厳のある生き方

 最近、悲観的、悲劇的なニュースが多い。
 男三人に拉致され、岐阜県瑞浪市の山林で遺体が見つかった名古屋市千種区の女性殺害事件。
 泣くなった女性のお母様の手記が、犯人の非道さを物語っている。
 亡くなった女性は、数万円の現金のために、命を奪われてしまった。この女性の無念さを思うといたたまれなくなる、この女性のお母様の気持を思うと涙がこみ上げてくる。
 一体、この国はどうなっていくのだろうか?

 
 診断士になろうと勉強しているが、クライアントを大もうけさせるために診断士になろうとしているわけではない。
 実際、トヨタのように経常利益が1兆円を超えたとしても、下請けや取引先の犠牲の上に成り立っているのであって、設備投資や経営上のリスクに備えるために必要なお金を除いて、ありすぎるのもどうかと思っているくらいである。

 
 数万円のために人の命を奪う人命を奪われる人、数兆円も経常利益がある企業。この二つが直接繋がっているのではないが、お金を巡る話題として何だか心に引っかかる。

 
 7月に歯の定期健診に行った際、「こんな上司が部下を追いつめる」の著者で日清紡統括産業医の荒井千暁医師が、「なぜ成果主義は『歪んだ派閥主義』を生むのか」と題してプレジデント7/30号の「職場の心理学第175号」に寄稿されているのを偶然目にした。
 「こんな上司が部下を追いつめる」で荒井千暁医師が述べていることを、現実の世界で目の当たりにしていたので、いろんな意味で共感を覚え、気になる人物だったから目に留まったのだろうか。そのとき不思議な思いで読んで、最近また気なったので市立図書館でコピーをしてきた。
 その内容を要約、一部抜粋する。

 成果主義が、新たな派閥形成メカニズムを形成していく。新タイプの派閥は、自分以外の力を頼みに、自己防衛のために生き残りをかけ派閥に所属し、派閥にくみすることで、ある種の保証を得られる。これは、チームから派生した一時的な集まりであって、仕事に対する目的意識や結束力を欠いていることが多い。
 このような話を聞くたびに、成果主義とは言いながら「なんだかんだ言って大きなビジョンを掲げても、ポシャってしまえば終わりだ」という刹那的な考えが組織にはびこり、目先の評価だけで社員が行動しているように思う」。危うくもろい派閥が生じて消えるという、渡り鳥ばかりが繁殖するような企業体に五年後、十年後はおそらくない。(中略)
 成果主義を敷きたいのであれば、業績が上がった場合の評価は部署の所属メンバー一人ひとりでなく、チーム単位にするといい。グループ全員が力を出し合って、より大きな成果が出る仕事があるためだ。あるいは部下の教育で功績を示した人や、相談に乗ってあげられた人に対して、もっとプラスの評価を与えてみてはどうか。この評価は、デジタル式の現行システムではたぶん査定できない。
(中略)
 チーム内で個人が働くスタイルとしては「サーファー型労働」をお勧めする。
 サーファーたちは、うまい人が乗った波に自分も乗ろうと安易に思わない。自分の腕に即した波が来たら、それぞれが勝手に波乗りを始める。誰かについていこうとなどと思わず、純粋に自分が楽しいからやる。仕事にもこういったスタンスが望まれる。一見、一人ひとりがばらばらに見えても、目標の状況の認識を共有できていれば、チームとしての業績が上がると同時に、個人の働きがいも高まるだろう。

 企業では成果主義が言われ、世間では格差社会についてかしましい。
 格差社会も、成果主義同様、弊害だけでなく一方では理由があってそうなってきていることなのだと思う。
 だから、荒井千暁医師がいう成果主義のように、そのやり方や程度に知恵をしぼらなければいけないのではないかと思っている。
 最初の話題から、成果主義、そして格差社会と、話に脈絡がないようになっているように思っている方もいるかもしれない。
 しかし、この話題、根底にあることは一緒なのだと思っている。そして、この国に将来生きる人たちの生き方について考えるためにはどうしても避けては通れない問題なのだと・・・。
 企業で働いていても、世の中にいても、得られるポストやお金はそれぞれ違う。
 今のように格差社会がダメ、成果主義がいけないと声高に叫んでみても、一体何の解決になるのだろうか。
 逆に、「お金やポストがないと人間的な生活はできない。人間ではない」と訴えていることにはならないのか。
 勝ち負けばかりに気をとられ、時間を無駄にし、与えられた命そのものを無駄にしている社会。
 「個人個人が他人に対する尊敬の気持を忘れず、自立した立場で尊厳のある生き方をすることこそ」が大切なのではないか。そんな風に思っている。
 そのためには、そういったことを教育していくことこそが、この国の将来のためになるのではないかと・・・。
 そして、それこそが、先日ブログで紹介したまさしく加藤諦三さんの著書「賢い生き方 愚かな生き方」に出てくるハイシナジーな社会を作り上げられるのだとも・・・。
 人の生き方や収入ばかりに気をまわして自分を見失っていく生き方よりも、精一杯生き、そして得た収入の中で、個人個人が他人に対する尊敬の気持を忘れず、自立した立場で尊厳のある生き方をする
 難しいかもしれないが、そうしない限り誰もが他人に嫉妬し、馬車馬のように働いて命をすり減らして死んでいくいき方しか選べない社会になっていくような気がしてならない。