一病息災

 唐突だが、隣の課の課長が、痔の検査のため「今日休む」と言っていた。
 また、上司の副支店長も、「しばらく痔の手術をしていないので、ゴールデンウィークにしなければならないかな?」と話していた。
 またまた、unizouの部下のS君も、1月中に痔になり(もともとあったらしい)、座っての仕事に支障をきたしていた。今でも、再発の恐怖におののいているようだ。
 こんなに痔の人ばかり周りにいるのも不思議だが、結構、痔を患っている人は多い。
 場所が場所だけに、あまり、大きな声で言わないので知らないだけなのだろう。
 周りにはほかにも、高脂血症や高血圧、花粉症、アレルギーなどを抱えている人もいる。
 かくいうunizouも、痔ではなく腰痛に悩まされてきた。
 よくよく考えてみると、加齢すれば、持(痔?)病と呼ぶような病を一つ二つ持っていても不思議ではないのかもしれない。
 以前、WHOの提唱する健康を保つという意味を、ライフプランニングの講習会で教わったことがあった。
 「身体的、精神的及び社会的に完全な良好状態または福祉の状態を保ちながら、他の人と同じように一般社会生活ができることが大切であって、単に疾患や病気がなく病弱でもないということではない」という。
 つまり、一病息災あるいは少病息災。
 さらに健康について付け加えるなら、座右の書「般若心境人生を強く生きる101のヒント」公方俊良著:三笠書房刊のことを書きたい。
 同書の「死ぬのが怖いなら死になさい、二度は死なぬ」には、生への執着を断ちきれば、死への恐怖もなくなると書いてある。
 そして、病気で臥せっている婦人に南隠和尚が言った次のような言葉を紹介している。
 「死ぬことは心配ない。一人で死んでゆくのだから。このような歌があるから覚えておきなさい。“寝た間のみ人に変わらぬ思い出を 浮世に返す 暁の鐘”」
 この歌の意味は、「大金持ちでも、貧乏人でも、寝ているときだけは、誰も変わりがないものだ。しかし、暁の鐘がなって目が覚めてからが大変だ。金持ちには金持ちの悩みがあり、貧乏人には貧乏人の悩みがある。つまり、死ぬのは楽なことだが、生きるということは大変だという意味だ」という。
 生死の執着を離れ、あるがままの境地を安らいで生きる。
 また、「病を抱えて生きる」の項では、闘病は自己変革の教室だとも言っている。
 「考え方を根本的に変えていくには、むしろ、どんな病気も死んだら治るくらいに居直って生きる」ことが大切ということだそうだ。
 健康については、10代・20代では考えもしないが、その頃、病の元になるような食生活や生活習慣を送っていることが多い。
 自分の夢を実現するために健康であることは大事だが、病を抱えていても、病とうまく付き合いながら、自分の夢を実現することができるように、しっかり自分で健康管理ができるようにしたいもの。
 まだまだ、先は長いし、年を重ねるごとにやりたいことが多くなってきたので・・・。