ポストと責任

 世の中には、「偉くなりたい」と思う人がたくさんいる。
 会社であれば、「管理職」というポストに就きたいということになる。
 しかし、実際、それに相応しい人がどれだけいるのかと首をかしげることが多い。
 自分が部下だったときにも、多くはそういった管理職に相応しくない上司だった。
 本当に尊敬できる「管理職」に遭遇したのは、ほんの数人に過ぎない。
 実は、今、自分が管理職になって、管理職も含めた社員から毎年提出される職務希望届けを目にしている。
 それを見ると、現実と違った不思議なことがたくさん書いてある。
 たとえば他の管理職の一人は、昨年初めて管理職のポストに就いてわが支店に赴任してきた。
 当初、「自分にはこのようなポストは荷が重い。青天の霹靂、誤った人事で、1年持つかどうかわからない。とにかくがんばります」と飲み会の席でみんなを前にして言っていた。
 しかし、職務希望届けには、しっかり、管理職ポストを希望していた。
 また、管理職になる前の人にも、今は自分の仕事のことしか考えていないのに、「管理職のポストにつきたい」と希望している人もいる。
 職務希望届けだけの話なら、そんなに罪のないことだと思う。
 しかし、実際、そういった人たちが管理職になったとき迷惑を被るのは、部下であり、組織である。組織がだめなら、消費者にも迷惑をかける。
 いつも思うのだが、管理職のポストにいる人が偉いわけではない。また、逆に管理職についていない人が偉くないということでもない。
 どちらの立場の人も、必要なのである。
 ただ、管理職になったら、対外的にも対内的にも、多くの責任が伴う。責任の重さを知らないで、管理職というポストを希望することだけはやめて欲しいものだ。
 唐突な話題になるが、毎年春の恒例行事、3月11日の日曜日にさいたまスーパーアリーナで行われた浜崎あゆみさんの“ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 〜TOUR of SECRET”を見に出かけてきた。
 今回、公演の前に流れた大スクリーンの映像で、彼女がダンサーと一緒に練習をしているシーンが流れ、前から感じていたことではあるが、彼女のコンサートにかける情熱とリーダーとしての意欲がスクリーンから溢れ出ていた。
 そのシーンの中で、ダンサーとコンサートの練習をしながら、「みんなのいいところを出していきたい。そのために、厳しい注文もするし、自分もそれ以上の努力をする」といったようなコメントをしていた。
 観客に見せるために、並々ならぬ形相でダンサーと向き合い、ダンサー、スタッフを纏め上げていくのだ。若干28歳の女性が、である。
 彼女のコンサートを成功させるために集まったスタッフは、私たちの“組織”とは違うかもしれないが、彼女を中心とする組織であることに変わりないように思う。
 自分たちの組織にも共通すること、それは、社員の持っている能力を最大限引き出し、組織として、それがシナジーとなって、観客を楽しませるという結果を出していくこと。
 江口克彦さんの著書PHP文庫「上司の哲学」には、次のようなことが書いてある。

 “長”のつく人間の責任は三つある。一つ目は自分のグループの仕事をやり遂げる責任。二つ目は自分の下にいる部下を育てる責任。そして三つ目は新しい仕事を創造していく責任だ。

 「偉い=管理職」という考えを捨て、「偉い(尊敬できる人)=自分の役目を全うする人」という考えが大事で、管理職というポストに就いた以上全うしなければいけない責任を、自戒も含めて考えさせられているこのごろである。