ワーキングプア

 12月19日(火)に放送されたNHKスペシャル「ワーキングプアⅡ 努力すれば抜け出せますか」を見た。番組の詳細は、NHKの番組表によると次のようなもの。

 7月に放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、“働く貧困層”の厳しい現実を見つめ大きな反響を呼んだ。「第2弾」では、NHKに寄せられたメールやファックスをもとに、非正規雇用で働く女性や、景気回復を実感できない中小企業などを取材。なぜまじめに働いている人たちが報われないのか。どうすればワーキングプアの問題を解決できるのか。一人一人が抱える現実を直視し、社会のあるべき姿を探っていく。

 この番組の中に出てきた、離婚後、2人の子供を抱え再就職した女性。当然、再就職は難しく、やっとありついても子供の突然の発熱などで休んだ途端に解雇。パートを昼と夜と2つ働いても手取り18万円、アパート代5万円、子供の教育費等を差し引き月の食費は2万2千円・・・母子家庭への補助金4万円で何とか暮らしているという。
 この話を聞いて親友のK君を思い浮かべた。
 K君の家庭は、父親が人は良いが、お酒が大好きで、お酒を飲むと気が大きくなるような人だった。定職に就かず、収入は不安定な状況で、実家を頼って何とか生活しているということだった。
 昔のことだったのでニュースにされるようなことではなかったが、K君の父親は、無免許で車を乗り回していたり、挙句の果てに飲酒運転で近くの家の塀に車をぶつけたりしたこともあったという。酔っ払って、バスの中でおしっこをしたこともあるような、町では知らない人がいないくらいの暴れん坊だったらしい。今なら、きっと、すぐにニュースで取り上げられるようなことばかりをしているような人だったという。
 そして、K君の母親は、今みたいに簡単に離婚するような時代でもなかったので、そんな父親と離婚することもなく、自分が働いて父親やK君の兄弟3人を養っていたという。
 その働き方が、K君から聞いた話によると、ワーキングプアに出てくる人たち以上にすさまじいのである。
 K君の母親は、朝2時から近くの新聞販売店で新聞に折り込みチラシを入れ、出来上がった新聞の部数を揃えて配達員に渡す作業を朝7時までやっていた。それから、いったん家に帰って子供たちの朝食を作り、朝8時半からは近くのダンボール工場で夕方5時まで製函作業を行っていたという。そんな寝る暇もないような生活をずっと続けていたのである。
 それだけ働いてどれだけの給料かというと、新聞販売店では10万円に届かず、ダンボール工場でもやっと10万円いくかいかないかということだったようだ。
 貨幣価値が今とは違うので、20万円が多いのか少ないのかはなんとも言えないが、そんな収入状況だったようだ。
 母親が不在の間、K君を筆頭に2歳違いの弟たちは、全て自分たちでやっていたし、何かあれば近所の人や近くにある実家が助けてくれたという。
 K君の父親は、K君が16歳になった翌年の正月1日に、肝硬変で死亡した。高校入学後、すぐにK君は新聞配達を始め、弟たちも同様に新聞配達をして高校を卒業して就職した。
 今では、K君は国家公務員になって課長になったし、弟たちも民間企業に勤め課長になっている。K君の母親は、70近くなった今でも、新聞販売店で朝だけ働いている。そして、昼は、子供たちが働き家庭を持ったので、好きな踊りを楽しんで暮らしているという。
 K君の家庭は、まさに貧乏な暮らしだったが、本人たちはさほど気に留めていなかった。
 それにK君に言わせると、自分のような家庭は日本全国のいたるところの町に必ず何軒もあるというようなことを言っていた。
 (彼に言わせると、巨人の星に出てくる星飛雄馬のような家庭ということらしい・・・)
 ワーキングプアとは、誰が命名したのだろうか。
 それは、何を意図しているのだろうか・・・。
 K君の生い立ちを聞いていると、ワーキングプアは今始まったことではないような気がする・・・。
 お金はいくらあったら良いのだろうか・・・。
 この番組を見て、K君がどういうのか急に聞きたくなって、久しぶりに会いたくなった・・・。
 
 K君が言うとしたら、「ワーキングプアNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました」のようなことかしら・・・。
  http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060801/1154425850