仲良しクラブ

 「呆れて物が言えないとは、こういうことか?」と思う。
 unizouの職場が、高校や中学校、いや、小学生や幼稚園かと疑いたくなった。
 今日は、しばらく前から始めた勉強会の6回目になる。
 勉強会が終わって、帰りに食事がてら軽くみんなと飲んで帰るのがいつものパターン。
 その際、最初の勉強会だけ出席した若手女性社員のOさんが、他の社員と飲んでいるのに偶然出会った。
 「どうせなので、一緒に」とテーブルを同じにして話をしていて、びっくりする意見を言われた。
 彼女の上司のSさんが、「勉強会には出るな!」と彼女に言ったというのだ。
 そして、それを聞いたOさんは、日ごろからunizouとSさんの仲が悪いと思っていたのと上司のSさんを尊敬しているので、「出るに出られなくなった」というのである。
 そんな話を聞いて、何のことを言っているのかと目が点になってしまった。
 まず、「仲がいい」とか「悪い」とか言うのが、一体何を指しているのかさっぱり分からない。
 それに、職場で仲がいいとか悪いとかが、一体何の意味をなすというのかunizouには理解に苦しむ。
 だから、彼女が、仲がいい悪いといった価値感を持ち出すことさえ、不快感を覚える。
 しばらく前の打合せの際に、「仲良しクラブでなく同じ目的で互いに協力して、一緒に達成感を感じましょう!」と話したことがあったが、彼女が言うには「仲良し」ではダメですか。仲良しでいいじゃないですか!」という。
 誰も仲が悪い状態で仕事をすると言っているわけではない。
 ただ、会社は毎年のように人事異動があり、一緒に仕事をする仲間が代わる。
 好き嫌いで仕事をするわけにはいかない。人間だから、精神的に合わなかったり、生理的に合わなかったりする人もいるだろう。しかし、そんなことは、組織には関係ないというのがunizouの持論なのである。
 だから、最初に言った「この職場は、高校や中学校、いや、小学生や幼稚園?」と言う気持になったのである。
 それに、同じ仕事を通して同じ目的を持ってやっていくと、最後には、そんな精神的に合わないとか生理的に合わないとうことは、吹っ飛んでしまうのである。
 それぞれのよさを認め合って、達成感を持った人間としてその場にいることになる。
 彼女の上司のSさんとは、仕事をやっていく上で、同じ目的を持ってやっていても意見の相違はあるし、それをいろいろと話をしていることは事実であるが、だからといって、好きとか嫌いとか、仲が悪いといった話ではない。
 今回、組織をマネージメントする大変さと言うのが、ずいぶん身に沁みた。課内の社員にいろいろと話をしていても、伝言ゲームよろしくその本旨を伝えるのは難しい。
 最近、よく読んでいる本に「部下に心に沁みるこんな話ができますか」【蒲田春樹著:河出書房新社刊】に、次のようなことが載っている。

 あるとき、マラソン増田明美さんが駅伝に出場して優勝したとき、その喜びを次のように表現していました。
 「九人の仲間で走りましたので、喜びも九倍です。」
 なんともさわやかな感動的な言葉ですね。と同時に、喜びや悲しみを分け合うことのできる仲間がいることのすばらしさを、あらためて教えてくれるように思うのです。
 私たちの仕事も、また駅伝レースと同じ共同作業といえるでしょう。大切なことはお互いが仲間として気持ちを一つにすることができるかどうかだと思うのです。
 そして仕事の苦労を分かち合い、また、仕事の成果を喜び合える、そんな仲間の存在を確認し合って生き生きとしたいものです。

こんな気持で仕事ができたらいいと思うが、そうなるように仕向けていくのも、unizouの社会勉強であり、人間性を広めてくれることだと、寛容な気持で臨みたいといったところである。